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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2023 12/16

[長野県] 諏訪大社上社末社の手長神社2


前回に続いて、長野県諏訪市上諏訪にあります
『手長神社』(てながじんじゃ)の後半をお伝えします(^^)/

前回最後の写真と同じですが、拝殿の正面からです。拝殿は銅板葺き入母屋造りで唐破風の向拝付きとなっています。
また諏訪大社と同じく両脇に左右片拝殿が付く独特な形です。
手長神社① 拝殿





「右片拝殿」は銅板葺き切妻造りとなっており、周囲に縁側を設けた舞台のようです。
手長神社② 右片拝殿





片拝殿の右側にあったのは、末社の「彌榮神社」です。社殿は一間社流造で手長神社の旧本殿で、市指定有形文化財のようです。更にその右には白い鳥居がある「松尾大明神」です。
更にその奥には赤いノボリがある「龍王大明神」と多くの摂末社が鎮座していました。
手長神社② 末社

手長神社② 摂末社





ちょっと斜めから引きで拝殿を見ると、拝殿の左右に片拝殿が並んでバランスよく見えてきました(^^;) 
手長神社② 拝殿





拝殿前にあったご由緒板の内容は下記に記しました(^^)/
手長神社② 由緒

「手長神社のご祭神手摩乳神は古事記の八俣大蛇の段に登場する神様です。大山祇神の御子神、足摩乳の妃神として稲の徳をもつ奇稲田姫を、手撫で足撫でして養育されました。
 諏訪湖岸東側一帯は、旧石器、縄文時代の遺跡が語るように、いにしえ人の生活、土地の神に祈りを捧げてきた信仰が伝わります。
 手摩乳神は古くから手長の丘を治めておりましたが、建御名方神が来られてからはその力に従い、共に諏訪の国造りに尽くされました。
 鎌倉時代の文書には「下桑原鎮守」とみえ、諏訪神社上社の末社として御造営にあずかり、茅野外記太夫により御湯立の祭りが行なわれていました。
 天正十九年(1591)に高島城が築かれると、神社が鬼門に当たるところから、城内外の鎮護神として歴代の高島藩主諏訪家より格別崇敬されました。
 江戸時代、相撲が盛んに行なわれ、諏訪の三辻のひとつに「手長の辻」があり、八朔相撲として親しまれておりました。九月十五日の神社の例祭を八朔祭といいます。寅と申年の御柱大祭は、二百段の石段を提灯掲げて曳き上げ、社殿の四隅に建てる豪壮な祭です。
 拝殿は天明八年(1788)、諏訪の大工棟梁立川和四郎冨棟の手によるけや木の木目を活かした重層な建物です。末社の彌栄神社は昭和八年に旧本殿を移設したもので、宝永六年(1709)、大隈流宮大工伊藤庄左衛門により造られました。(共に諏訪市有形文化財指定)境内には下桑原郷の御頭御社宮司社をはじめ、町内の祠精進湯の石祠・祝神などが祀られており、古い信仰を伝えています。
 神楽殿は大正初期に造られ、昭和九年に移築奉納された郡内唯一の能舞台です。"手がきれいになりますよ"と師匠に言われ、お手長さまで初舞台を踏んだ日本舞踊の徒も少なくありません。
 鎮守の杜は市天然記念物、鳥や小動物の宝庫です。
 諏訪湖を望む景勝地、境内は神気横溢」と書かれていました。




片拝殿の奥には回廊が続いています。左片拝殿の前あたりには「延命杉」と書かれた樹齢約500年の大杉がありました。
手長神社② 左片拝殿と回廊

手長神社② 延命杉

手長神社② 回廊





拝殿向拝には「手長宮」と書かれた扁額があります。壁代の家紋(神紋)は、諏訪大社と同じ「梶の葉」があしらわれていました。ここでお詣りを済ませます<(_ _)>
手長神社② 向拝





向拝下の彫刻が見事だったので撮ってきました(^^)/
海老虹梁には昇り龍や鮑、その他には雲や唐獅子など細工が素晴らしかったです。
手長神社② 彫刻





参拝後、境内中段に降り、社務所に向かう途中に「御柱」(二之御柱)が祀られていました。
手長神社② 石段

手長神社② 御柱





スマートな社務所の手前に授与所がありましたので、御朱印をいただいて参りました。
手長神社② 社務所

手長神社② 授与所



御朱印
手長神社


場所:手長神社


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