2023
08/18
金
『行願寺(革堂)』(ぎょうがんじ(こうどう))です(^^)/
訪問日は今年の2月21日でしたので、朝から雪がちらつく空模様で、かなり寒い始まりとなりました。入口は京都御苑の東側道路を南に100m程行った寺町通沿いにあります。
山門は本瓦葺きの薬医門でまだ新しそうです。左側には「西国第十九番礼所革堂行願寺」の看板と西国の石碑があります。看板の通り西国三十三所観音霊場の第十九番札所となっています。
山号は霊麀山(れいゆうざん)で、寺号が行願寺です。革堂(こうどう)は通称になります。
右手には革堂(行願寺)の縁起が書かれた駒札がありましたので、下に記します。
「霊麀山行願寺と号する天台宗の寺院で、西国三十三所観音霊場の第十九番礼所である。
寛弘元年(1004)に行円上人によって、一条小川(上京区)に創建された。子を孕んだ母鹿を射止めてしまったことを悔いた上人が、常にその皮をまとって鹿を憐れみ、人々から皮聖と呼ばれていたことから、この寺も革堂と呼ばれるようになったといわれている。
以後、人々からの厚い信仰を受け、町堂として大いに栄えたが、度々の災火により寺地を転々とし、宝永五年(1708)の大火の後、この地に移された。
現在の本堂は、文化十二年(1815)に建てられたもので、堂内には行円上人の作と伝えられる本尊千手観音像を安置している。
境内には、都七福神巡りの一つになっている寿老人神堂をはじめ、愛染堂、鎮宅霊符神堂、加茂明神塔などがある。また、宝物館には、若い女性の幽霊が描かれている幽霊絵馬が展示されている。」
山門をくぐり、石畳の参道の奥には「本堂」がうかがえます。参道途中の左手には「延命地蔵菩薩・天道大日如来」が祀られた小さなお堂があります。
延命地蔵菩薩のお堂奥に手水舎がありましたので身を清めてお参りに進みます。
雪の降る「本堂」になってしまいました。(^-^; 本尊は入口の駒札にもありましたが千手観音です。本堂の手前には「西國十九番 革堂行願寺」と刻まれた寺号碑があります。唐破風の向拝下は網が掛けられ彫刻類を保護しております。
本堂右手に駒札があったので下記に記します。
「行願寺は、天台宗に属する寺院で、西国三十三箇所観音霊場の第十九番礼所でもあり、一般には革堂の名で親しまれている。寛弘元年(1004)に皮聖行円が創建したと伝え、中世には町堂として上京の中心となっていたが、その後寺地は寺町荒神口の南へ移り、現在地へは宝永五年(1708)の大火後に移ってきた。
現本堂は、文化十二年(1815)に再建されたものである。外陣を吹き放しとするほか、入母屋造の屋根に千鳥破風を付け、更にその前方に軒唐破風の向拝を続けて、複雑な屋根景観をみせる点や、彫刻装飾が多用されているところに特色がみられる。この本堂は西国巡礼の礼所本堂として、また、近世における天台宗本堂としても価値の高いものである。
鐘楼は、本堂と同じ大工棟梁により文化元年(1804)に造営された。文化年間における行願寺を再建された一連の遺構として貴重である。 地下鉄丸太町駅を東に約10分、御所の南側の閑静な場所にある。」
「革堂観音」と書かれた紅い提灯が目立つ外陣には、これでもかってくらい額などが飾られています。縁側脇にはびんずる尊者が小さいお堂に祀られています。
本堂外陣左側に納経所がありましたので西国の御朱印をいただいて参りました。
本堂から見た山門前の境内です。京都の街中なので、周囲には建物が密集しています。
本堂の南側には近代的な建物がありますが、「行願寺会館」で2階は宝物館になっているそうです。
今回はここまでです。次回後半は境内北側にあるその他の堂宇をお伝えします。(^^)/
西国三十三所御本尊の御朱印
場所:行願寺(革堂)





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