2023
07/24
月
『総持寺』(そうじじ)の後半をお伝えしま~す(^^)/
本瓦葺き入母屋造りで向拝付きの「本堂」です。
御本尊は秘仏の千手観世音菩薩になります。
本堂前にあります、中々素晴らしい青銅製の灯籠がありますが、、、
由来等はわかりませんでした…
本堂正面です。向拝にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
本堂は茨木市指定文化財と記されています。御本尊の内容は割愛します。
「桁行7間、梁行7間、向拝1間、入母屋造、本瓦葺の御堂。慶長8年(1603)に豊臣秀頼の命により片桐且元を奉行として再建されたが、災害・大火などで大破したものを、寛永期、元禄期に大規模な修復が行われた。一部慶長期、寛永期の部材を残しつつ、現在の本堂は元禄12年(1699)に再興されたものと考えられる。当初は5間堂であったが、昭和10年(1935)に廻縁を取り込み、現在の7間堂になった。内陣中央須弥壇上に安置される秘仏本尊・千手観音を納める宮殿形厨子は本堂の再興に際し、桂昌院(徳川綱吉の母)より寄進されたものと伝えられる。内々陣を形成するなど中世的な平面様式を伝え、摂津国域における江戸時代初期の仏堂を代表するものである。」
続いて本堂の左手にあった「金堂(薬師堂)」です。
こちらは茨木市指定文化財となっています。
「正面3間、側面4間、向拝1間、寄棟造、本瓦葺の御堂。総持寺の近世伽藍を知る重要な史料である承応元年(1651)の伽藍絵図には金堂として描かれる。薬師堂とも称されている。金堂は小規模ながら中世的な密教仏堂の平面形式を伝え、当初材を多く残している。棟札から慶安2年(1649)に四天王寺の大工により建てられたことが判明した。細部の様式から棟札の年代に合致し、様式的編年の指標となる点で重要な建造物である。内陣の宮殿型厨子(くうでんがたずし)も当初のもので、和様を基調とする端正な厨子である。」
金堂の西側にあった木製の明神鳥居があるお社は「荒神社」です。WikipediaやGoogleマップでは「如来荒神堂」と記されており、こちらも茨木市指定有形文化財となっていました。
続いて荒神社の隣には「経蔵(宝蔵)」があります。
珍しい校倉造りで茨木市指定文化財となっていました。
「方一間、寄棟造、校倉、本瓦葺の建物である。一切経典を納める「経蔵」であり、本尊は智慧を司る文殊菩薩である。建物の構造が全国でも例の少ない校倉造(あぜくらづくり)である。総持寺の経蔵では断面が五角形の校木が正面と側面で交互に組まれており(互組という)、正倉院宝庫に類する古代的な組み方といえる。古代では校木の断面は六角形であるが、慶長期以降は五角形の断面が見られる。また入口が正面中央ではなく左に偏していることは他に類例が無い。
経蔵は近世的な校木を用いつつ、古代的な互組による建築物で、近世的校倉への過渡的遺構といえよう。
経蔵の建立年代であるが、承応元年(1651)の伽藍絵図には本堂前方に東側に「御朱印蔵」として校倉造の蔵が描かれる。また明治7年(1874)の境内絵図には「宝蔵 寛永廿未年再建現住隆慶」と記される。昭和60年(1985)に解体修理が行われた際、建立年代を判定する資料は発見されなかった。しかし部材の経年度合からみて寛永20年の建立とみて問題ない。
全国的にも数少ない校倉造の遺構であるが、大阪府下においては大阪市・四天王寺宝蔵(文化7年・1810)が知られるのみである。」
経蔵の横には「ペット供養」です。さらにその横にあったのは、どこにも名前がなかったのでわかりませんが、なんとなく「宝物庫」っぽい建物です。
続いて金堂の北側にありましたのは、「鎮守社」です。こちらも茨木市指定文化財となっています。
「三間社流造、こけら葺で建立年代は明らかではないが、細部の様式から見て江戸時代初期(17世紀前期)の建物と考えられる。この社殿はもと箕面粟生間谷・素戔嗚尊神社の本殿であったが、のちに総持寺に移築されたものである。
鎮守社には大黒天、弁財天、青面金剛(庚申)が祀られる。
簡素な装飾の中に、室町・桃山時代以来の建築様式を伝え、社殿内部は前後に二分して内陣、外陣が設けられている。またかつて正面の板扉には金箔押しの宝輪がつけられており、神仏習合の影響が強いことが窺われる。また解体修理が実施された際、外陣天上に龍の墨絵があることが確認された。江戸時代の龍神信仰(雨乞い)を表したものとみられるが類例が少ない。
近世以前の古式な様式を伝え、北摂地方における近世社殿建築を考える上で貴重な建造物である。」
鎮守社の東側にあったのは「包丁塚」です。包丁塚の更に東側の建物は「普悲観音堂」で、西国三十三所観音霊場と四国八十八箇所のそれぞれの札所の本尊を模した石仏の本尊を祀っていました。
普悲観音堂から東に行くと「東門」がありました。こちらも茨木市指定有形文化財となっています。
東門から南に石畳を進むと、本堂から繋がる渡り廊下の下をくぐれる、ちょっと変わった形の建造物があったので
写真撮ってきました。

3枚目の
写真の現代風建物の社務所の中で御朱印を書いていただきました。

西国三十三所御本尊の御朱印
場所:総持寺





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BEFORE「[大阪府] 西国三十三所観音霊場の総持寺①」
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