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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2023 06/29

[兵庫県] 西国三十三所観音霊場の中山寺②


前回からの続きで、兵庫県宝塚市中山寺にあります
『中山寺』(なかやまでら)の境内中段~上段の堂宇を中心にお伝えします。(^^)/

境内中段の最初にありますのは「五百羅漢堂」です。
本瓦葺き宝形造りで平成九年(1997)の建立と新しいお堂です。
中山寺(宝塚)② 五百羅漢堂

中山寺(宝塚)② 羅漢堂説明

「「親兄弟の 顔が見たくば 中山寺の 五百らかんの 堂にござる」の古歌に詠まれる当山の五百羅漢堂は、開創千四百年記念事業の一つとして、新築されたものです。
 堂内には釈迦如来を本尊として、そのお弟子である羅漢さんを七百有余体もお祀りしており、如来の説法を聴聞するお姿を再現しています。天井には金剛界五仏と釈迦如来の種字曼荼羅が描かれ、床には蓮華の陶板が敷かれていますが、これは人間の心が本来清浄であることを示し、一度、曼荼羅に坐し、至心に仏を念ずれば、必ず悟りが開けるといわれています。」




入口上には「羅漢堂」と書かれた扁額があり、
内部は五百羅漢ではなく七百羅漢が爽快に並んでいました。
中山寺(宝塚)② 五百羅漢堂入口

中山寺(宝塚)② 五百羅漢像






上段へ上がる石段の左側最初に「塔婆おさめ所」の札があるお堂です。このお堂は「水掛地蔵」を祀っており経木塔婆の供養所で、浄水を注いで亡くなった方の供養を行うようです。
中山寺(宝塚)② 水掛地蔵






水掛地蔵の隣には「閻魔堂」がありました。中央に閻魔大王が祀られています。
中山寺(宝塚)② 閻魔堂

中山寺(宝塚)② 閻魔大王

中山寺(宝塚)② 閻魔堂説明

「本尊は司命・司録の両脇侍を従えています。密教における十二天である閻魔天が、中国道教の冥界思想の影響により、変化したのが閻魔大王です。我が国では浄土教のひろがりとともに地獄・極楽のイメージが民衆に定着しました。閻魔大王は、冥土の裁判官、あるいは地獄界・餓鬼界の王ともいわれ、民衆の間で、身近な仏教のほとけとして、十王信仰や地蔵信仰などにも結びついていきました。
 当山では、毎年二月十六日と八月十六日が閻魔天の縁日とされ、俗に「地獄の釜が開く日」といわれて、大根だき法会と施餓鬼法要が執り行われます。」





閻魔堂の奥には「寿老神堂」があります。
中山寺(宝塚)② 寿老神堂

中山寺(宝塚)② 寿老神堂説明

「本尊の寿老神は、「寿老人」ともいいます。七福神に数えられる寿老神は、福禄寿と同様、その起源は中国の民間信仰が取り入れられたものです。寿老神は老人星の化身であるとも、老子であるともいい、七福神の中では長寿の象徴とされ、杖を携えて玄鹿を伴ったお姿でよく表されます。
 御堂の客殿(向かって左側)として、午歳生まれの人の守り本尊である勢至菩薩をお祀りしています。勢至菩薩は正しくは、大勢至菩薩といいます。智慧の偉大な力で、人々の迷いを除くほとけです。
ご真言はオン サンザンサク ソワカ といいます。」





寿老神堂の奥には「大黒堂」がありました。
中山寺(宝塚)② 大黒堂

中山寺(宝塚)② 大黒堂説明

「本尊の大黒天は、梵名でマハーカーラといい、摩訶迦羅と音写され、大黒天・大黒天神と漢訳されます。古代インドにおいては、シバ神と同体である大自在天の化身でありました。仏教のほとけに取り入れられてからは、仏教寺院の守護神、さらには、財福神としての性格が与えられました。我が国においては、「大黒」が「大国」との音通により、大国主命と習合して、右手に打ち出の小槌を持たせ、米俵に載るお姿に発展しました。この大黒天像は、日本の大黒天の姿になっています。
 御堂の客仏として、子歳生まれの人の守り本尊である千手観音坐像をお祀りしています。千手観音は、正しくは、千手千眼観自在菩薩といいます。
ご真言はオン バザラ タラマ キリク といいます。」





境内上段に上がると、正面に「本堂」があります。本瓦葺き寄棟造りで向拝付きとなっています。
中山寺(宝塚)② 本堂①

中山寺(宝塚)② 本堂説明

「聖徳太子が中山寺を創建されてから、堂宇は度々の雷火や兵火で消失しましたが、その都度、諸国より浄財が集められて、再興されました。現在の本堂は、慶長八年(1603)、豊臣秀頼公が父君秀吉公の冥福と自分の誕生の報恩のため、片桐且元を普請奉行として、再建した時のものです。慶長十年に完成した桃山時代の代表的な仏堂建築です。
 また中山寺は、観音巡礼の根本地・極楽中心中山寺とも言われています。それは、「徳道上人と閻魔大王の詔」、花山法皇による観音巡礼復興の際の「弁光僧正の観音示現の伝説」、「卜部左近の極楽浄土拝観の故事」といった伝承に基づくもの。特に卜部左近が観音霊場三十三ヶ所の御本尊示現を感得したという旧暦七月九日(新暦では八月九日)は「ここのかび」とも言われ、毎年、星下り大会式法要が執り行われます。この行事は、宝塚市指定の無形文化財になっています。」

「本尊・十一面観世音菩薩立像」弘仁時代 重要文化財
「寺伝によれば、勝鬘経の主人公である北インド舎衛国波斯匿王の皇女、シュリマーラー(勝鬘夫人)が、障碍多き女人を済度するために、観音功徳力の発揮を誓い、お釈迦様の教えにしたがって、ご自身の像を刻まれました。このお姿が、御本尊・十一面観世音菩薩立像です。特徴は、エキゾチックな面立ちで、印相は左手を上げ、掌を平たく外に向けた施無畏印、右手は五指を伸ばして、手を垂れ下した与願印です。また右足親指が上にそり、御足に力の入った様子が窺われます。これはまさに、大乗の道を歩み、十大誓願を実行せんとの御心を表現されたものです。
 両脇侍二体は、後白河法皇が御寄進になったものであり、同じお姿の十一面観音立像三体が並ぶという珍しい形の三尊形式です。三体あわせて、お顔の数が三十三となり、観音さまの三十三変化身や西國三十三ヶ所霊場の数と一致することを表現しています。ふだんは秘仏として祀られていますが、正月三ヶ日と毎月十八日の御縁日には、御厨子のご開帳がなされます。」




向拝の手前には唐破風の常香炉がありました。
中山寺(宝塚)② 常香炉






本堂に来たくらいで通り雨も一段落し、傘なしで落ち着いて見られました(^^)/
本堂の軒下は、彩色豊かな化粧を施されており、最近の修復で復原されたようです。
正面入口上には「救世閣」(ぐぜかく)と書かれた扁額が掛かっており、その下でお参りをさせていただきました<(_ _)>
中山寺(宝塚)② 本堂②

中山寺(宝塚)② 本堂軒下飾り

中山寺(宝塚)② 本堂向拝

中山寺(宝塚)② 本堂向拝②

中山寺(宝塚)② 本堂装飾

中山寺(宝塚)② 本堂③





本堂の右隣には「護摩堂」がありました。
中山寺(宝塚)② 護摩堂

中山寺(宝塚)② 護摩堂説明

「護摩堂の建築様式は、桃山時代の僧堂様式を遺しており、貴重な木造建築として指定文化財に登録されています。護摩堂の本尊は不動明王坐像(平安時代後期の作)で、脇侍としてコンガラ、セイタカの二童子を従えています。また須弥壇の上には、降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の四大明王を配し、中尊の不動明王とあわせて、五大明王の形式をとっています。」





最後は護摩堂の右側に「開山堂(聖徳太子堂)」がありました。平成九年(1997)建立です。
中山寺(宝塚)② 開山堂

中山寺(宝塚)② 開山堂説明

「中山寺の開基、聖徳太子(575-622)は、用明天皇の皇子で、積極的に仏教を受容して国家の思想的基盤とすることに努めました。法華・維摩・勝鬘の三経義疏を著し、『十七条憲法』に「篤く三宝(仏法僧)を敬え」と説かれました。その聖徳太子が御年十六歳の時、仲哀天皇の后 大仲姫および忍熊王の鎮魂供養のために、紫雲たなびくこの地を卜して、中山寺を創建されました。
 この御堂は、阪神大震災後、隣接する護摩堂を参考にして、新築されたものです。」



今回はここまでです。次回は残りの堂塔をお伝えしま~す(^^)/



御朱印は西国三十三所観音霊場第二十四番霊所の御本尊です。
中山寺(宝塚)②


場所:中山寺


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