2023
06/24
土
今回は一泊して、西国三十三所観音霊場の巡礼に行ってきました(2月に巡礼)(^^)/
西国三十三所も残り7ヶ寺となり、草創1300年記念行事も令和5年3月31日に終わってしまうとの事だったので、今回思い切って残りの巡礼先である6ヵ所を、結願の華厳寺を残し終了させることとしました。
まずは、兵庫県宝塚市中山寺にある『中山寺』(なかやまでら)に行きました。
入口前には手前から寺号碑、境内図、掲示看板、総案内所、仁王門と並んでいます。
寺号碑には「大本山 中山寺」と刻まれています。山号は紫雲山で正式名は紫雲山中山寺となります。真言宗中山寺派の大本山となるようです。
鳥瞰写真の境内図ですが、中山寺の規模の大きさがうかがえます。山門から手前部分は塔頭がひしめいており、境内中程の中段部には寺務所や小さい堂宇が並び、境内上段は本堂や五重塔など主要な堂宇が並んだ配置となっていました。
山門手前にある「総案内所」はお宮参りなどの受付窓口となっています。「山門」は本瓦葺き入母屋造りの二重門です。「望海楼」と呼ばれ、正保三年(1646)に徳川家光によって再建された兵庫県指定文化財となっています。
山門の案内看板には以下のように書かれていました。
「天正年間に、伊丹の城主 荒木村重が織田信長に謀反し、兵を挙げました。村重軍は摂津の国の主だった寺社・仏閣を焼き払い、(通称・荒木焼き)中山寺は全山が灰となってしまいました。後に、中山寺の中興・豊臣秀頼公によって、山門をはじめ、堂宇再建が発願なされました。
この山門は二階建てで、別名「望海楼」と呼ばれています。山門の竣工は正保三年(1646)で、徳川家光公の治世です。したがって、山門建立の発願主は豊臣秀頼公でありますから、豊臣・徳川の二代にわたって再建工事が施工なされたことになります。」
外側正面には、阿行・吽形の仁王像、裏側には漆塗りで復原された獅子・狛犬が祀られていました。
いよいよ山門をくぐり寺内に入ります。
真っ直ぐ伸びた石畳の参道の先に五重塔が見えます。
境内図で先に触れましたが、境内下段には塔頭が並んでいます。写真の順番は「総持院」、「宝蔵院」、「華蔵院」、「観音院」、「成就院」の順番となります。
この通りを歩いている時に天候が悪くなってしまい、足早に中山寺の方に向かうことにしました。
石段を上がると境内中段になります。中央の五重塔は最近の再建のようで、金色の相輪とうっすらと青みがかった外観が遠くからでも見てとれます。
中段に上がった右手(東側)には、巨大な寺務所(紫雲閣)がありました。下段からのエスカレーターも完備されており、しばらく軒下で雨をやり過ごすことになりました。
雨宿り場所には納経所もありましたので御朱印帳を預け、御朱印をいただきます。
エスカレーター前から西側には小さい堂宇が並んでいます。北側は正面に五百羅漢堂、その左側奥に見えるのが境内上段にある本堂となります。
雨はまだ多少降っていましたが、手水舎にて身を清めて進みます。うかがった2月はまだコロナの影響もあり柄杓はなく、蓮の花を模った廻りにあるパイプから水が直接出ている状態でした。
手水舎の真横にありました「鐘楼」です。特に何の説明もなかったのですが、袴腰付きで斗栱が美しいデザインの鐘楼でした。

御朱印を載せられなくて申し訳ありません<(_ _)>
次回は境内中段から、本堂とその近辺までをお伝え致します。
場所:中山寺





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