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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2023 05/25

[和歌山県] 熊野古道 発心門王子~熊野本宮大社


今回は御朱印はお休みして、タイトルにもあります『熊野古道』(くまのこどう)を歩いてきましたので、その模様をお伝えします。(^^)/

1日目は熊野三山の2ヶ所(熊野那智大社熊野速玉大社)を廻り、西国三十三所の青岸渡寺那智の滝に伺い、とても充実した一日となりましたが、2日目はその締めとなります熊野三山最後の一つ「熊野本宮大社」に向かうルートで「発心門王子」(ほっしんもんおうじ)からスタートできる超初心者コースがありましたので歩いてきました。

昨夜泊まったホテルから、写真の「発心門王子」まで送迎サービスがあるということで、まずはボクの車を「熊野本宮大社」駐車場に持って行き、送迎の車に乗り換えて向かいました。
熊野古道中辺路 発心門王子





スタート地点に世界遺産の石碑がありますが、「熊野参詣道中辺路」とあります。いくつかのルートがある熊野古道ですが、多くの旅人が歩いたのは、京都から大阪・和歌山を経て田辺に至る「紀伊路」、そして田辺から山中に分け入り熊野本宮に向かう「中辺路」(なかへち)です。今回のルートはその中辺路の一部を歩きます。
熊野古道中辺路 世界遺産石碑





スタート地点の「発心門王子跡」の説明板には下記のように書かれていました。
熊野古道中辺路 発心門王子跡説明

「熊野川の中州に鎮座する熊野本宮まで約7kmの所にあるこの王子の名は、発心門すなわち「悟りの心を開く入り口」とされる大鳥居があったことに由来する。
 天仁二年(1109)に参詣した貴族・藤原宗忠(1062~1141)は、まず門前で祓いをし、発心門は大鳥居であり、参詣の人々は必ずこの大鳥居をくぐること、また、はるかに見遣ると恐れを感じることを日記に書き残している。
 また、建仁元年(1201)に和歌の講師として後鳥羽上皇の熊野御幸に供奉した貴族・藤原定家(1162~1241)は、王子社の背後にあった南無房という尼の居宅を宿舎とし、門柱に感動と祈願を込めた漢詩と和歌を書き付けている。
 熊野九十九王子の名称は地名や地形に基づくものが多いが、発心門王子の場合は信仰に関連する命名の代表であり、この王子が果たした役割の大きさを表している。」




発心門王子をスタートする前に、今回お世話になりました「熊野本宮観光協会」様からダウンロードできるこのウォークマップを持って歩いてきましたので、参考までに(^^)/
距離は約7km、3時間コースということで、とても歩きやすいコースでした。
熊野古道中辺路 コース地図





それでは熊野古道スタートです。最初は普通のアスファルトの道路でした。
熊野古道中辺路 スタート





途中、民家の間を抜け、発心門王子から1.7kmで「水呑王子跡」(みずのみおうじあと)がありました。
熊野古道中辺路 水呑王子跡

「貴族、藤原宗忠(1062~1141)の天仁二年(1109)の参詣日記には「内水飲王子」、「新王子」とある。
 この「内水飲」とは、二日前に宿泊した「水飲仮屋」に対して、発心門の内すなわち本宮寄りにあることを意味している。また、「新王子」とは文字通り新たに設けられた王子の意味であるが、これはほとんどの王子社が以前から祀られていたことを証している。
 「水呑王子」と刻んだ石碑は、他の王子跡のものと同じく享保八年(1723)に紀州藩が熊野御幸の史蹟顕彰のために建てたもので、紀北産の緑泥片岩製である。」




近くには「水呑王子」と刻まれたちいさな石碑がポツンとありました。
熊野古道中辺路 水呑王子石碑





今回の和歌山旅行は昨年末でしたので、紅葉と紅葉に埋もれた石畳が美しかったです。
熊野古道中辺路 古道紅葉





山に入ると、「蘇生の森熊野古道」と刻まれた石碑が所々に点在しています。
熊野古道中辺路 蘇生の森





開けた場所に出ると眺望のいい場所に「果無山脈」(はてなしさんみゃく)と書かれた看板がありました。奥の稜線は奈良県境となっていて、1000m級の山々が連なります。
熊野古道中辺路 果無山脈





坂を越えると、スタートから3.6kmの地点にある「伏拝王子跡」(ふしおがみおうじあと)に出ました。この石段の奥にありますが撮り忘れました…(^^;) この目の前には「伏拝茶屋」があったので、休憩をとりコーヒーをいただきました。
熊野古道中辺路 古道坂

熊野古道中辺路 伏拝王子跡

熊野古道中辺路 伏拝茶屋





ここから熊野古道はまた山の中に入ります。
熊野古道中辺路 古道再開

熊野古道中辺路 古道中





途中にあった分かれ道に道標がありました。「右 かうや 左 きみい寺」と書かれています。右は高野山、左は紀三井寺に続く古道となるようです。
道標の正面には「九鬼ヶ台関所」があります。現存建物はありませんが、ここが関所だったようです。
熊野古道中辺路 道標

熊野古道中辺路 関所





熊野本宮大社まで2.1kmの地点まできました。
熊野古道中辺路 本宮大社まで2.1km





山の中の参道(古道)は雰囲気がよくかなりテンションが上がります。
途中、古道から少し左に外れる道があり、「和歌山県の夕日100選」に選ばれた「ちょっとよりみち展望台」があるので、ホントに寄ってきました(^^)/
熊野古道中辺路 寄り道

熊野古道中辺路 大斎原鳥居

展望台から遠くに見えるのは大塔山系の山々で、その下には世界遺産で唯一の文化遺産として登録されている「熊野川」、そして、かつて熊野本宮大社があった場所「大斎原」に建つ日本一の大鳥居を見ることができました。





もう少しでゴールですが、そのすぐ手前に「祓殿石塚遺跡」(はらいどいしづかいせき)がありました。18~19世紀に築かれたとみられる石塚が遺跡であります。
熊野古道中辺路 祓殿石塚遺跡





熊野本宮大社まで0.4kmとなりました。
熊野古道中辺路 本宮大社まで0.4km





熊野本宮大社の少し前にあった「祓殿王子跡」(はらいどおうじあと)の看板には、下記のように書かれていました。
熊野古道中辺路 祓殿王子跡

熊野古道中辺路 祓殿王子跡②

「前世と現世に心身に積もった汚れを祓い清め、日本第一の霊験をもって知られる熊野三所権現の神威にすがって、祈願し、生命力を蘇らせることを目的とする熊野参詣では、禊ぎや祓いが重視された。
 中でもこの王子での祓いは、熊野本宮参詣の前に行うもので、これまでの道中での祓いにも増して重要であった。
 天仁二年(1109)に貴族・藤原宗忠(1062~1141)は、水呑王子に参拝したのち野路をたどり、祓いを済ませてから本宮の宿所に入って、翌日の参拝に備えた。
 また、およそ百年後の建仁元年(1201)に、和歌の講師として熊野御幸に供奉した貴族・藤原定家(1162~1241)は、この王子近くの地蔵堂で後鳥羽上皇の一行を待ち、本宮の神前に向かった。」




ゴールは「熊野本宮大社」の北側にあります鳥居で、無事に到着することができました~(^^)/ 時間は2時間半くらいだったかなぁ? 7kmを普通にウォーキングすれば1時間半もかからないと思いますが、史跡を見たり、休憩や山の中であったりと、意外と時間はかかりましたが、かなり楽しかったです。
熊野古道中辺路 熊野本宮到着




場所:発心門王子


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