2023
05/20
土
初日の和歌山旅、最後に訪問しましたのは、和歌山県新宮市阿須賀にあります
『阿須賀神社』(あすかじんじゃ)に行きました(^^)/
入口左手の
駐車場に
車を停め、南側にあります正面入口から中に入ります。


左側に「阿須賀神社」と刻まれた社号碑がありました。
道路から少し中に入ったところに石製の「一の鳥居」があります。
これは神明鳥居でしょうか? その鳥居をくぐってすぐの右手に「神武天皇聖蹟熊野神邑顕彰碑」と書かれた石碑がありました。由来等はわかりませんでした…
「熊野阿須賀神社」と書かれたノボリが参道沿いにズラーーーーーっと並びます。
ノボリのある部位を抜けると、左手に説明板、右手に世界遺産石碑と手水舎が並びます。
説明板は「阿須賀王子跡」について書かれていました。
「長寛元年(1163)に書かれた古文書には、熊野権現が神倉山へ降りたのち、「阿須賀之北」に勧請されたと記されており、早くから熊野信仰との関わりがみられる。また、平安時代から阿須賀王子とされ、熊野速玉大社から熊野那智大社への道中にあたり、熊野詣の人々が多数参拝に訪れた。
阿須賀神社は、主祭神を事解男命とし、このほか熊野三山の神々を祀っている。創立時期は不明であるが、境内からは弥生~古墳時代の集落遺跡や祭祀遺物が発見されており、古代から蓬莱山に対する信仰があった。
ご神体である蓬莱山麓からは熊野の神々を仏として表現した多くの御正体(12~15世紀)が発見されており、神道と仏教が融合した日本独特の宗教観を知ることができる。江戸時代には、新宮城主の浅野家や水野家から社領の寄進も受けた。熊野信仰の重要な拠点の一つであり、境内には多くの文化財が残されている。」
世界遺産石碑には「紀伊山地の霊場と参詣道」と書かれていますので、熊野三山と同じ登録のうちの一つとなっているようです。
「手水舎」に柄杓はなく、竹を割った水口から水が滴る所で、身を清めました。
広い境内に入るところに「二の鳥居」があります。こちらの鳥居は明神鳥居のようです。扁額には「阿須賀神社」と書かれたものが掲げられていました。
境内の後ろの山が「蓬莱山」で、山の麓に見えるのが「拝殿」となります。
熊野新宮 阿須賀神社と書かれた縁起が書かれた説明板には下記のようにありました。
御祭神は、「事解男命、熊野速玉大神、家津美御子大神、熊野夫須美大神」となります。
「熊野川の河口近くに位置し、「浅州処」を守護し、航海、延命、生産、発育の御霊力を持つと言われています。第五代孝昭天皇五十三年三月の創祀と伝わり、古い記録には熊野権現は、初め神倉山に降り、次に阿須賀の森に移ったと記されています。新宮が初めて書物に文字として登場したのは、熊野神邑でありますが、熊野神邑は当神社の古名であり、神威発祥の地として広く人々に敬われました。「中右記」「平家物語」にも当社への参詣記録が見えるなど、熊野詣の隆盛に伴い当社も発展してきました。歴代の有力者達からも深い信仰を集め、元享二年(1322年)には、阿須賀権現が現在の東京北区飛鳥山へ勧請されるなど全国各地に当社の末社が見られます。
境内からは、弥生〜古墳時代の住居跡や祭祀跡遺跡が発見され、社殿背後の蓬莱山から大量の御正体が出土しており、熊野最古の原始信仰形態を実証し、権現発祥源として確認されました。
また蓬莱山には、中国の秦時代に始皇帝の命を受け、不老不死の霊薬を求めて旅だった徐福の伝説が残っています。」
緑青となった銅板葺き入母屋造りで千鳥破風下に向拝があります。
御幕には左三つ巴の神紋が入っており、扁額には「熊野阿須賀神社」と書かれていました。向拝にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
境内の西側にありました社務所です。授与所にて御朱印をいただいて参りました。
御朱印
場所:阿須賀神社





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