2023
05/15
月
熊野速玉大社を後にして次に向かったのは、その速玉大社境外摂社の
『神倉神社』(かみくらじんじゃ)です(^^)/
橋を渡った右手側に小さな社号碑に「神倉神社」とありました。
境内の北側に社務所がありましたが、今はほとんどの日が無人のようで、御朱印は本社の熊野速玉大社でいただいてきました。
橋の正面には「猿田彦神社」と「神倉三宝荒神社」があります。神倉神社の摂社という感じなのかなぁ?神倉神社も熊野速玉神社の摂社だし、どういう扱いなのか全くわかりません…(^^;)
神倉神社の由緒が書かれた看板がありましたので、下記に記します。
御祭神は高倉下命と天照大神になります。
「熊野権現として有名な熊野速玉大社の摂社である。熊野三山(速玉・那智・本宮)の主神降臨の霊地熊野信仰の根本とも申すべき霊所である。
御祭神高倉下命は建国の功臣熊野三党(宇井・鈴木・榎本)の祖として知られ、農業漁業の守護神として御神徳が高い。」と、ありました。
「天磐盾」の記述と石碑がありますが、御神体の大岩(ゴトビキ岩)のことのようです。
「神武天皇紀(日本書紀)には戊午年(紀元前三年)六月に狭野(佐野)を越えて「熊野神邑に到り、旦、天磐盾に登りて」と記しています。
紀元二千六百五十年(平成二年)を奉祝して神武天皇聖蹟である熊野神邑(新宮の古称)の天磐盾(神倉山)の顕彰碑を神倉神社奉賛会が奉納し、文字は鈴木江邨氏が謹書されています。」
神倉神社は熊野速玉大社の元宮とされ、熊野の神が諸国遍歴ののち阿須賀神社に鎮座する前に降臨したところと言われています。山上の巨石ゴトビキ岩を神の依代と仰ぐ原始信仰の形を残しているようです。
境内を南に進むと、石段の途中に丹塗りの鳥居が見えてきました。
鳥居前にあった史跡熊野三山(権現山)についての記述を記します。
「市内西方にそびえる権現山(神倉山)は、神が降臨する神体山として崇められてきました。
主峰は千穂ヶ峰(253m)で「鎮護ヶ峰」とも記されたように神仏が鎮まり守護してくれる山です。古くから熊野速玉大社の神降臨の神域として重要でした。権現山の南、高さ100m近い断崖絶壁には神倉神社があり「天磐盾」とみなされてきました。また、ここには神が鎮座する磐座があり「ゴトビキ岩」と呼ばれています。古来から霊域として、また修験者の行場として栄えてきたことがわかります。」
上記の説明板正面に手水舎があったので身を清めて登って行きます。
熊野速玉大社と同じく権現鳥居(両部鳥居)が最初にありました。急勾配な石段は538段あるので心して登ります。
登ってすぐの石段途中に「火神社・中ノ地蔵堂」がありました。詳細は不明です。
途中割愛しましたが、頂上近くまで来ると二の鳥居がありました。その手前の分かれ道のすぐに「満山社」がありました。
「二の鳥居」は明神鳥居かな?
二の鳥居をくぐると手水鉢がありました。もう一度身を清めます(^^)/
二の鳥居からは玉垣に添って海が見える開けた場所まで行くと、更に上にある大岩の横に社殿がありました。鈴門前まで行きお詣りをさせていただきました<(_ _)>
中の社殿に掛かっている神前幕には「左三つ巴」の神紋がありました。
頂上からの眺望は新宮市と太平洋が見渡せる絶景でした~
社殿横にある大岩の隙間の場所がパワースポットだと地元の方に聞き、お詣りしてまいりました。
石段の高さがあるのでかなりキツかったです。毎日登っているという人に会いましたが、さすがに慣れているようでサッサと行っちゃったのには驚きました…(-_-)
御朱印の右上には熊野三山元宮天磐盾とあります。
場所:神倉神社





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