2023
04/10
月
今回は初めて、世界遺産に登録されている「紀伊山地の霊場と参詣道」に行ってきました。まずはその霊場の一つであります『熊野那智大社』(くまのなちたいしゃ)に行きました。(^^)/
那智山の山道を上がり、中腹の駐車場がある表参道から階段を上っていきます。
その途中に一の鳥居がある入口に来ました。
丹塗りの「一の鳥居」は明神鳥居で、扁額はありません。左側には「熊野那智大社」と刻まれた社号碑があります。
鳥居右手には案内板と世界遺産の石碑があります。平成十六年(2004)に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産登録をされました。
一の鳥居をくぐった所に「手水舎」がありましたので身を清めます。
参道右手には摂社の児宮(こぐう)(多富気王子神社)がありました。祭神は彦火火出見尊。
授児安産、無事育成、守護の御利益があるようです。
石段が直角に曲がる場所に「神馬舎」がありました。
この石段を上って、上に見えている「二の鳥居」をくぐると境内です。「二の鳥居」には金文字で「熊野那智大社」と書かれた豪華な扁額が掲げられていました。
二の鳥居前からの境内全景です。
左の建物は「宝物殿」で、奥の建物が「拝殿」になります。
宝物殿の横に由緒書きがあったので下記に記します。
「熊野という地名には諸説ありますが、紀伊続風土記には「熊野は隈にてコモル義にして」とあり、「奥まった処」「隠れたる処」との意が、また「クマ」と「カミ」とは同じ意があると考えられ、「クマノ」とは「カミの野」で神々が住まう地といえます。
往古、神武天皇御東征のみぎり、この地に上陸された神倭磐余彦命(神武天皇)が那智の大瀧を神として祀られたのが那智山信仰の始まりとされ、その後、命は熊野の神使である八咫烏の導きにより大和の地に赴かれ、橿原宮で初代天皇に即位されました。
当社は仁徳天皇五年(317年)、この那智山中腹に社殿が創建され、御瀧本より熊野の神々を遷座してお祀りしたと伝えられています。御祭神は熊野夫須美大神と申し上げる我が国の最初の女神「伊弉冉尊」を主神として十三所の神々をお祀りし、全国の熊野神社四千余社の御本社である熊野三山(本宮大社・速玉大社・那智大社)の一社であり、「日本第一大霊験所 根本熊野三所権現」として崇められています。主神の御名「夫須美」は「むすび」と同意であり、諸願成就の御神徳があり、かつては「結宮」とも称されました。
熊野信仰は、我が国に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み、修験道の隆盛とも相俟って熊野権現として崇められ、平安中期頃より上皇(法皇)が詣でる熊野御幸は百余回に及び、やがて武将や庶民に至るまで大勢の人々が詣でるようになり、「蟻の熊野詣」と称されました。
那智山信仰の根元である那智の御瀧は、当社の別宮「飛瀧神社」と申し上げ大己貴神をお祀りしています。」
境内にも大きな「手水舎」がありました。
表参道以外から入るとここで身を清めるのかな?
大きな開運絵馬がかかる「宝物殿」は、入館料300円で観覧ができるようですが、時間の関係で入りませんでした。(^^;)
銅板葺き入母屋造りで唐破風向拝付きの「拝殿」です。平成31年まで拝殿は屋根などが改修されて新しくなったようです。
神社に護摩木があるのは大変珍しいので
撮ってきました(^^)/ 権現講祭と言う例祭があり、神道護摩木を焚き上げ、大祓詞を奏上しご祈念するようです。

「熊野大権現」と書かれた扁額は神仏習合の名残でしょうか?その扁額がある「向拝」にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
本殿は直接見ることができませんので、拝殿横にあります授与所の更に奥の扉の隙間から「本殿」を
撮りました。手前から第一殿、第二殿~と配置されています。御本殿は全て国の重要文化財となっています。

御祭神は主神として、第一殿(瀧宮)大己貴命、第二殿(証誠殿)家都御子大神(素戔嗚尊)、第三殿(中御前)御子速玉大神(伊弉諾尊)、第四殿(西御前)熊野夫須美大神(伊弉冉尊)、第五殿(若宮)天照大神、第六殿(八社殿)天神地衹八神と、由緒板に書かれていました。
今回はここまでです。
次回は熊野那智大社の境内社であります御縣彦社などを紹介します。
御朱印
場所:熊野那智大社





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