2023
04/05
水
前回の最後は
写真の本堂で終わりましたが、その前に他の諸堂などを見ていきます。

まず、前回見た「弘法大師堂」の向かいにあったのは、「出世地蔵大菩薩」立像です。
奥の足場は「阿弥陀堂」ですが、修理のため解体されて中は何もない状態でした。
ですので、googleストリートビューで現存している時の画像がありましたので載せておきます(^^)/
「弘法大師堂」の前には「旗掛けの松」と言う名の松があります。名前の由来が書かれていましたので、下記に記します。
「楠木正成が湊川の戦いで客死した後も、息子の正行、正時、昌儀は戦いを続け連戦連勝。正兵二年(1347)ここ藤井寺に於いても秘策を練って奇襲を掛け、十倍の勢力を持った幕府側の細川顕氏勢に大勝したと伝われています。この時「非理法権大」の旗を松の木に立て掛けたとの言い伝えから「旗掛けの松」として現在まで残されてきました。
この松の木は珍しく三葉の松葉が現れ、正成の三人の息子のように、力を合わせて堅く団結すればどんな困難でも打ち勝つことが出来るとし、不思議な力が授かると語り継がれ珍重されています。
また楠木正成、正行親子、新田義貞等が奉納された大般若教は葛井寺の寺宝として大切に守られています。。」
松の後ろ(弘法大師堂の横)には「専心龍乗観音」立像がありました。「一心に願いを掛ければその願いは必ず成就する」と記され、お参りしてきました<(_ _)>
東門の前には、袴腰付きの「鐘楼堂」がありました。本瓦葺き入母屋造りで、とても立派な鬼瓦が付いていました。
「本堂」の正面全景ですが、大きいので両端が見切れています。手前にある香炉も豪華な造りです。御本尊は前回述べましたが、国宝の十一面千手千眼観音菩薩となっており、写真でしか見ていませんが日本最古の千手観音像とありますが、芸術的に素晴らしいと評されるほどの造りとなっています。
本堂前から西側に向かう境内参道の先には、国の重要文化財となっている「西門」がありますが、
写真を撮り忘れてしまいました…

右手の藤棚?の影にあるシャチホコの付いた堂は何の堂かわかりませんでしたが、なんとなく収蔵庫じゃないかなと思います。
本堂の西側にあったのは「護摩堂」です。須弥壇には不動明王が祀られていました。
「手水舎」にて身を清め、「納経朱印所」の前を通り本堂に入ります。納経朱印所とありましたが無人でした。納経所は本堂内にあります。
「本堂」向拝より堂内に入りお参りをさせていただきました<(_ _)>
内部は外陣までは土足で上がれました。外陣右手側に納経所がありました。
御朱印は西国三十三所の御本尊と御詠歌以外に千手観音の蓮華王と書かれた朱印もありました。
これで葛井寺の紹介を終わります。
西国三十三所の御本尊(大悲殿)の御朱印
場所:葛井寺





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