2023
03/31
金
『葛井寺』(ふじいでら)に行きました(^^)/
入口左手に古そうな石碑があり、たぶん寺号碑と思われますが、達筆のため読めませんでした…
右手の新しい寺号碑は読めました。(^^)/ 「西國五番 観音霊場 紫雲山葛井寺」と刻まれています。西国三十三所観音霊場の第五番礼所で、真言宗御室派の寺院となります。
寺号碑の手前にあった御触書きには縁起が書かれていました。
「河内飛鳥時代に百済からの渡来者によって繁栄したこの付近も王仁一族の辰孫王が葛井連と改姓し氏寺として創建した。葛井宿弥-葛井給子-葛井道依-藤継子(平城天皇妃)-阿保親王-在原業平と次々に葛井氏系により伽藍の建設がなされた。勧進帳によると当時は約2km平方の境内に東西両塔がそなわり七堂伽藍を有していた。
神亀二年(725)聖武天皇が稽文会、稽主勲(春日仏師)父子に命じて千手観世音菩薩を造像させた。その入佛開眼法要には藤原朝臣房前を勅使として僧行基菩薩を導師として勤められ紫雲山金剛琳寺と勅号を下された。
南北朝時代には後醍湖・後村上天皇も帰依され楠正行公が正平二年(1347)自軍七百余兵を率いて当寺に屯し細川顕氏七千の兵を破った「藤井寺合戦」この時大般若経六百巻を書写して守刀一振、非理法権天の菊水旗を奉納し戦勝祈願を行っている。
花山法王(六十五代天皇)西国観音霊場巡錫され当寺に奉拝されるや
参るより 頼みを可くる ふぢい寺
花のうてなに 紫の雲 と詠まれました。
永正七年(1510)八月八日大地震により伽藍諸堂倒壊する。同年十一月諸国に大勧進し修復に興す。」
入口にある本瓦葺き入母屋造りで三間一戸の楼門(仁王門)は「南大門」です。
軒下には金文字で紫雲山の扁額があります。最近丹塗りを終えたばかりで、とても綺麗です。木鼻や蟇股の装飾も色鮮やかで華やかさが増しています。
仁王像については木造とわかりましたが、詳細は特に書かれていませんでした。
南大門から境内に入り本堂を中心にした境内全景です。左の足場がある所は現在修復工事中の「阿弥陀堂」になります。
境内右手に最初にあったのは、紅い鳥居が入口にある「弁天池」です。池の真ん中には弁財天が祀られています。参道左手は石碑群となっていました。
境内参道のど真ん中には青銅製の燈籠があります。調べましたら、何故か「青銅鳥居」と呼ばれているそうです。由縁などは不明です(^^;)
境内中程の右手にありましたのは「弘法大師像」です。像の横には「弘法大師堂」がありました。堂は珍しく本瓦葺き寄棟造りで豪華なシャチホコが付いています。向拝にてお参りをさせていただきました。
参道正面には、本瓦葺き入母屋造りの「本堂」があります。御本尊は脱活乾漆造の十一面千手観世音菩薩坐像で、芸術的に優れた天平時代の代表的な仏像として国宝に指定されています。ホームページには日本最古の千手観音と記されていました。
今回はここで終了です。次回は本堂と残りの諸堂を紹介しま~す。(^^)/
御朱印は西国三十三所の御詠歌
場所:葛井寺





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