2023
03/26
日
『施福寺』(せふくじ)の本堂を中心にお伝えします(^^)/
本堂より東南側は境内の開けた場所になっていますが、その周囲には「智慧如来」や「聖観音菩薩」などが祀られていました。
境内の先端は展望台となっており、金剛生駒国定公園の岩湧山(897.7m)が眺望できました。山しか見えませんでしたが…
手水舎は蓮華の水鉢に龍口と、シンプルな造りでした。
槇尾山施福寺には説明書きが一つもありませんでしたので、当山の関係者がアカウント開設したFacebookに縁起が書かれていましたので紹介します。
「重要文化財にも指定されております【槇尾山大縁起】によりますと、施福寺は欽明天皇【539年~571年】の勅願により、行満上人が開基となり建立されました。
【加古の行満】と称された行満上人は、ヤマト王朝で外交を担った人物で、古い史料にも そのお名前が見られます。【加古】とは、兵庫県を流れる加古川周辺の地域のことです。その当時、ヤマト王朝から中国へ向かうルートは、なんと本州を縦に越えるルートでした。大阪湾より北上して、加古川を遡上。氷上町(現在の兵庫県丹波市)あたりで船を一旦陸揚げし、海抜95メートルの分水嶺を使い由良川の支流に移ります。そして由良川河口から丹後半島の伊根筒川を経て日本海を航行というコースであったと見られます。しかし、当時の技術で作られる船での航海は命懸けであります。その航海の安全祈願の為に、古代大阪湾の港(今の泉大津あたり)より槙尾川の上流の当山に航海の安全と勝戦を祈願する神様を招聘されました。
【大和の巻向山】(ヤマトのまきむくやま)にある【穴師坐兵主神社】(あなしにますひょうず神社)から招聘された神【磐筒男神】(いわつつのおかみ)が降臨されたとされる磐座が山中には今もあるということです。
古代は施福寺本堂から、その神様に向かい遥拝する神事が厳修されていたとみられます。現在もその名残りで、本堂左手に遥拝するための向拝が有ります。参拝された折には、どうぞ本堂左手に回り、1度ご覧下さい。
【巻向山】の神様を お祀りしている山なので、古代は【巻尾山】と書いたそうです。それが、いつの頃からか【槇尾山】という字を書くようになりました。」
向拝から中に入りお参りします。当日は秘仏である馬頭観音さまが御開帳と言うことで、拝観料500円/大人1人を納め拝観させていただきます。2枚目の
写真最奥が納経所となっており、ここで御朱印も拝受いたしました。

広縁から外陣に入ると、小さな西国三十三所観音菩薩像を祀った仏壇があります。
2枚目を見ると、外陣はかなり巾が狭いので左手側に扉を付けて間仕切っているのかな?
中に入ると外陣の残りと、奥に御本尊さま等多くの仏像がありますので、こちらが内陣になるのかな?ちょっと構造がよくわかっていません(^^;)
内陣には両脇に四天王像が安置され、中央に御本尊の弥勒如来坐像、右の脇侍(向かって左側)に西国礼所本尊の十一面千手観世音立像が安置しています。左の脇侍は文殊菩薩立像です。四天王は名前がわかりません…<(_ _)>
御本尊の弥勒如来坐像は丈六仏と呼ばれる仏像で、坐像の場合約8尺(2.43m)の高さがあるようです。
続いて内陣の横側には、御本尊の弥勒如来坐像より大きい、座高4mを超える方違大観音(ほうちがいだいかんのん)が安置されていました。
内陣の後ろの厨子には秘仏で今回特別公開中であった馬頭観音が安置されていました。その他にも内陣裏には数多くの仏像が祀られていました。
堂内
撮影禁止
が殆どの寺院の中で、施福寺さんは仏像の
写真OKと言うことでしたので、堂内で自由に撮らせていただき、とても嬉しかったです。



今回の施福寺さんの参拝記録は以上になります(^^)/
御朱印は西国三十三所御本尊
場所:施福寺





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BEFORE「[大阪府] 西国三十三所観音霊場の施福寺①」
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