2023
03/16
木
前回の続きで、
『紀三井寺(金剛宝寺)』(きみいでら(こんごうほうじ))です(^^)/
最初に石畳の境内参道の両脇にあるものから見ていきます。まずは右手「鐘楼」の隣にあったのは、「幸福観音」の名前がある観音立像です。
「幸福観音」の隣には、本瓦葺き宝形造りの「大師堂」です。説明がありませんが、和歌山県指定有形文化財となっているようです。
参道の左側は開けたスペースとなっており、和歌山湾の眺望が素晴らしかったです。中央右寄りの山は昨日伺った「紀州東照宮」や「和歌浦天満宮」のある山だと思います。(^^;)
「本堂」にずいぶん近づきましたが、参道際の立木に邪魔されて屋根くらいしか見えないのが残念です。左には「西國霊場第二番礼所 紀三井寺」と書かれた寺号碑もあります。
「大師堂」の横には朱色の鳥居が並ぶ「三社権現」です。鳥居をくぐって石段を上がると覆屋の中に檜皮葺の堂がありました。堂は 白山妙理権現、熊野三所権現、金剛蔵王権現を祀っており和歌山県の有形文化財に指定されております。左にチラッと見えるのが春子稲荷です。
「三社権現」から左に「多宝塔」がありました。国の重要文化財である看板もあります。
「この仏塔は本瓦葺の多宝塔で、室町時代中期の様式を示している。寺伝によれば、喜吉元(1441)年にそれまであった仏塔が風害で倒壊し、宝徳元(1449)年に再建の勧進が行なわれているので、この時期に建てられたものと考えられる。
下層は柱間三間四方、柱は円柱で四方に逆蓮柱付高欄を廻らしている。中央には両向き唐戸を入れ、脇間には花頭窓を配している。内部は四本の柱(四天柱)に来迎壁を設け、その前面に唐様の須弥壇を据えている。
上層は円柱十二本を円形に建て並べ、周囲は亀腹の上に縁を廻らせ、高欄をしつらえている。斗栱は四手先に尾垂木を入れる。軒は上下層ともに二軒繁垂木で、四隅には風鐸を釣っている。
相輪は鋳鉄製で四隅に宝鎖を張り、風鐸を釣っている。」
「多宝塔」から更に奥に進んだ所に「開山堂」がありました。本瓦葺き宝形造りで、説明はありませんが、和歌山県指定有形文化財となっているようです。
「開山堂」に続いては、本堂がある境内下に降り、手水舎にて身を清めたかったんですが、蓮の葉を模した手水鉢に水は出ておらず、柄杓は片付けられていました。
手水舎の向かいには、放生池に架かる極楽橋があり、その奥には如意輪観世音菩薩坐像があります。
「本堂」の正面は前にある木の枝振りが悪すぎて全く見えない… 本瓦葺き入母屋造りで正面側に千鳥破風があり、その下に唐破風の向拝付きとなっています。
護国院本堂は和歌山県指定文化財となっています。説明文には、
「金剛宝寺護国院(紀三井寺)は、寺伝によれば奈良時代(宝亀元年(770))の創建と伝えられる。
この本堂は宝暦九年(1759)に建立されたもので、桁行五間、梁間五間の入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付に後堂が付け加わった本瓦葺きの建物である。正面の梁行二間通りを吹放しの外陣とし、中央三間四方を内陣とし須弥壇を据え、その上に厨子を安置している。
江戸時代後期に造営された建物で、順拝寺院本堂としての特徴をいかんなく発揮し、時代を代表する堂々とした風格を示す大建築である。総欅造り建築技法にも優れ、この時代の紀ノ川流域の寺院建築としては最も優秀な建造物のひとつである。」と、書かれていました。
向拝上の扁額には「救世殿」と書かれています。外陣には大提灯が吊り下げられています。内部の斗栱や木鼻など、江戸時代の精巧さがうかがえます。御本尊は十一面観世音。
本堂外陣の右手にありました受付所にて御朱印をいただいて参りました。
最後は、木が邪魔してあまりに全景が撮れないので、色んな場所から撮ってみました(^^)/
御本尊の御朱印
場所:紀三井寺(金剛宝寺)





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BEFORE「[和歌山県] 西国三十三所観音霊場 紀三井寺(金剛宝寺)①」
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