2023
03/11
土
和歌浦天満宮に続きましては、一泊後の翌日最初に伺いました
『紀三井寺(金剛宝寺)』(きみいでら(こんごうほうじ))です(=゚ω゚)ノ
入口となる山門までの参道は、仲見世とまではいきませんがお土産屋さんがある商店街となっていました。
入り口前では右に行くと、紀三井寺ケーブルカーの乗降場があります。今回は歩いて境内に上っていきます。
入口右手の寺号碑には「紀三井山護国院」と刻まれています。山号が紀三井山、院号が護国院、寺号がありませんが金剛宝寺となります。正式名称は紀三井山金剛宝寺護国院で、院号が後に付くのは珍しいです。紀三井寺は別称となりますが、こちらの方が名前が通っていますので、ホームページも別称となっていました。救世観音宗総本山の寺院です。
山門前には大きな閻魔大王像が…「長谷寺の徳道上人閻魔大王より極楽浄土の起請文と三十三個の御宝印を授かる」とあり、最近になって時代を超えて契約が交わされたようです。(;^ω^)
入口にある山門は本瓦葺き入母屋造りで、国の重要文化財に指定されています「楼門」です。両脇には金剛力士像(仁王像)を安置していますので、仁王門でもあります。
説明文には下記のように書かれていました。
「この楼門は、三間一戸の入母屋造、本瓦葺の建物である。寺伝によれば室町時代末期の永正六(1509)年に建てられ、その後、永禄二(1559)年に修理がなされたといわれる。
一階は間口三間、奥行二間あり、切石礎石の上に円柱を立てている。中央部は通路とし、両脇間には金剛力士像を安置している。
一階の頭貫上には三手先斗栱を組むが、通路側には造り出し大虹梁を架けている。通路の頭貫上には牡丹と蓮の彫刻を施した欄間を入れてあるが、これは類例が少ない。二階も間口三間、奥行二間であるが、一階より垂木一支分だけ偏減している。正背面ともに中央に板扉を設け、その他を塗壁としているのは類例が少ない。斗栱は三手先に尾垂木を付け、軒は二軒繁垂木で、妻飾りは三ツ手を置き、虹梁大瓶束となっている。」
「楼門」入ってすぐ左手にあったのは、塔頭の普門院です。「七鈴観音」と書かれた扁額を掲げたお堂には十一面観音が祀られています。普門院の正面(参道右手)には塔頭の穀屋寺があり、聖徳太子と地蔵菩薩を祀るお堂がありました。
紀三井寺の急勾配であるこの石段は、「結縁坂」(けちえんざか)と言うらしいです。
「若き紀伊国屋文左衛門が結婚と出世の契機となる出逢いをした坂」で、地上より231段ありるようです。
最初の坂を上がった踊り場左手に、塔頭の瀧本院があります。波切不動と書かれた提灯がありますが、説明版に波切の由来が書かれていましたので下に記します。
「「波切」の由来は弘法大師が唐からの帰国の折り船が嵐にあい難破しかかった時、師の恵果和尚から授かった霊木に、大師自ら一刀三礼され刻まれた「不動明王」に祈念すると、その不動明王は右手に持った「利剣」で押し寄せる波を切り裂き無事に帰国出来たと伝えられています。
その霊力から「波切不動明王」のご利益は航海の安全でありましたが、昨今では私達人生に降りかかる諸々の災難を無難になるよう厄除け不動としてあつく信仰されております。」
紀三井寺の三井水は日本名水百選に選ばれるほどの名水です。この「清浄水」と南約100mにある「楊柳水」、北へ約400mのところにある「吉祥水」とからなっています。
瀧本院のすぐ上にあったのは、朱色の鳥居がある白龍大明神を祀る「白龍大明神社」と、紀三井寺の応同樹で「病に応じて薬になる」という云われのある木です。樹齢150年のタブノキだそうです。
まだまだ続く「結縁坂」…
更に上に上がった踊り場にあったのは、右に塔頭の松樹院で、厄除けの寺院として身代り大師を祀ります。左手には同じく塔頭の宝蔵院で、大日如来、弘法大師、不動尊等の提灯がありましたが、御本尊は不明です。
更に上がると右手にケーブルカーの山上駅に行く通路がありました。
境内のある場所に上がると、右手にケーブル駅の上屋が「仏殿」となっていました。ここは別途拝観料が200円かかるみたいです。
「結縁坂」の上がった正面にあったのは「六角堂」です。説明板がないので詳しいことはわかりませんが、寛永年間(1750年頃)の建立で、西国三十三所それぞれの礼所本尊写しを祀っているそうです。
六角堂の向かいにあったのは「きみいでら天空かふぇ」。お茶処だけじゃなく御守りなども売っていました。
国の重要文化財に指定されている袴腰付きの「鐘楼」です。
「この鐘楼は、桁行三間、梁間二間の入母屋造、本瓦葺の建物である。
一階は基壇の上に四本の面取角柱を立て、足元を張り出して縦板目板張りの袴腰をつけている。腰組斗栱は三手先とし、その上部に縁を廻らして、周囲に逆蓮柱のある高欄を取り付けている。
二階の柱間は、正面三間、側面二間で、柱間には縦連子窓をはめている。斗栱は二手先に尾垂木付とし、軒は二軒繁垂木で、妻飾りは大斗肘木に虹梁・大瓶束を架け渡し、破風板には鏑懸魚をつけている。建物の中には梵鐘を釣している。
天正十六(1588)年に安部六太郎によって再建されたと伝えられているが、建築様式も桃山時代の特徴をよく示しており、全体に軽快な印象を与える建物である。」
天空かふぇの隣には「大樟龍王社」があります。「樟」この字のクスノキはあまり見ないんですが、後ろの市天然記念物のクスノキが祭神のようです。
ようやく「本堂」が正面に見えましたが、ここからは次回です。<(_ _)>
御詠歌
場所:紀三井寺(金剛宝寺)





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BEFORE「[和歌山県] 和歌浦湾を一望する学問の神様 和歌浦天満宮」
COMMENT
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No.70 Re:こんにちは、
春駒さんコメントありがとうございます。
すいません、その情報は知りませんでした。
先ほど調べましたら、やはり紀三井寺に桜の標本木あるみたいですねぇ~
今年はかなり暖かいですから、そろそろ桜も咲きそうですねぇ~。投稿者:akino1942 2023/03/21 (火) 06:58
No.69 こんにちは、
私の記憶が確かなら、三井寺には和歌山県の桜の標準木があったような気がします。
間違っていたら御免なさい。