2023
02/04
土
『粉河産土神社』(こかわうぶすなじんじゃ)です。(^^)/
粉河寺本堂の西側にある石段を上がった場所に境内はあります。
入口の左手には「粉河祭礼渡御式縁起」について書かれていました。
「粉河産土神社の祭神丹生都比売命はこの地に勧請せられ青山を切開し田畑となし狩猟肉食の原始民に農耕安定の文化生活の指導に当られたと云われ、これを崇神尊敬の祭礼行事とした粉河祭礼渡御式は今より遠く一千余年前、即ち延暦年間に創始せられ、その後今日に至る迄種々事情のため一時中止、或は間隔執行等幾多の変遷を重ねられたが、明治四十三年に完全に重大行事として復興され只管に氏子達の遺瀬ない愛執郷愁の念、絶ゆる事なく歴史の中に悲運を克服して保存に燃え続け、更に昭和二十三年に幾分近代的情操を加えられ古式を失わずして今日の盛大を迎たのだと云う。
本祭に因縁薄からぬ「七度半の使い」と云う傳説を残す栗栖座の稚児を先導する各座氏子五百名を越ゆる豪華行列は一大絵巻であり郷土芸術の一つとして粉河町民の大きな誇りとして傳統を生かし続けるであろう。
更に行列に供奉する十数台の山車は祭神へ献上する灯明台と云われ鐘太鼓の囃子に若者達の情熱と誠心からほとばしる勇壮活発さは渡御式への光彩を添へ見る人をして哀愁と歓喜を呼んでいる。」
石段の上にありました朱色の鳥居には「粉河産土神社」の文字が入った扁額付きです。
鳥居をくぐった右手に「手水舎」がありました。柄杓はありませんでしたので直接手を洗います。左手には「社務所」がありました。御朱印はここで書いていただきました。
「社務所」の前には「おんどり石」と名の付く石がありました。鎌倉時代末元寇の時、戦に負けそうだったが、御祭神丹生大明神が鶏に乗り神風を起こして退け、その鶏が石となって当神社を守護しているそうです。
正面にありましたのは銅板葺き入母屋造りの「拝殿」です。「拝殿」の奥にあります「本殿」二棟は紀の川市指定の文化財となっています。
狛犬の後ろに境内図と説明板がありました。
「この神社は、旧粉河村の総鎮守であると同時に粉河寺内の鎮守である。祭神は丹生都姫命・天忍穂耳命である。
本殿二棟は同寸法・同形式で並列し、現社殿はその様式から江戸中頃に建てられたと思われる。一間社隅木入の春日造としては、規模も大きい方である。天福社は、祭神は天降大明神で擬宝珠銘に享保12年(1727)とあり、様式から見てもこの頃に建てられたと思われる。」
「拝殿」が左の大きい方で、奥に「本殿」の春日造りの屋根がチラッと見えます。右側が「本殿」と同じく市指定文化財の「天福社」になります。(中門の中にあります)
「天福社」から右側には沢山の境内社があります。2枚目の左から五社神社(北野神社、多賀神社、日吉神社、一言主神社、楠神社)、その隣が護国神社です。3枚目左側(護国神社の右隣)が白山神社、右側が粉河稲荷神社になります。
「拝殿」の向拝にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
向拝から拝殿の奥に見えます「本殿」の左側が第一殿の丹生津比賣命、右側が第二殿で天忍穂耳命が祀られています。「本殿」は鮮やかな装飾が施されています。
「拝殿」から上がってきた鳥居を見ています。左手の屋根が粉河寺本堂になります。
境内図では大広間や客間のような記載がありましたので、「社務所」の奥は庫裡かな?
御朱印です。
場所:粉河産土神社





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