2023
01/30
月
前回は「中門」まで見ましたが、『粉河寺』(こかわでら)の続きを紹介します(^^)/
「中門」から境内に入ると左手に大きな「本堂」が見えます。石畳の右手には丹塗りの「丈六堂」と「水向地蔵堂」が見えます。一番左に見えるのは国指定名勝の粉河寺庭園です。
小さな祠の「水向地蔵堂」は、経木塔婆に水を手向け亡くなった人の冥福を祈るので「水向地蔵」と言うようです。
本瓦葺き寄棟造り裳階付きの「丈六堂」です。文化三年(1806)の再建で、丈六(一丈六尺の略)の阿弥陀如来坐像を安置しています。
「粉河寺庭園」は桃山時代の石庭で、崖地をたくみに利用してつくられ枯山水鑑賞蓬莱庭園と呼ばれるようです。
国の重要文化財となっている「本堂」です。
写真で見ているだけでも偉容な大きさが伝わってきます。本尊を安置する二重屋根の正堂と、礼拝のための一重屋根の礼堂を前後に並べ、西国札所として多数の参詣者がある礼堂を広く取っているようです。外観は高さの違う入母屋屋根を前後に並べて千鳥破風を付け、向拝部に唐破風を付けた複雑な形です。礼堂は本瓦葺き入母屋造りの単層、前二間が吹放しで参詣者用の空間としています。正堂は本瓦葺き入母屋造りの重層となっています。

とりあえず「本堂」は後にして、その他のお堂を廻ります。
まず最初に「本堂」の西側にあったのは「千手堂」です。本瓦葺き宝形造りで頂部の露盤宝珠が立派な形をしています。宝暦十年(1760)の建立で、千手観世音菩薩と紀州歴代藩主の位牌を安置しています。
「本堂」と「千手堂」の間を奥に進むと「粉河産土神社」があります。ここもお詣りに行ってきましたので、次回その様子をお伝えします。
「千手堂」の北側に山手に向かう山道がありますが、その先にありますのは「行者堂」です。役行者を安置し、毎年旧初午の日に開扉するようです。
続いては「本堂」を通り越して、東側にある堂に行きます。東側には「六角堂」「鐘楼」「薬師堂」がありました。
まず①枚目は「六角堂」です。本瓦葺きで屋根も六角錐となっています。享保五年(1720)の建立で、西国三十三所のそれぞれの札所本尊を模した33体の観音像を祀っています。
②枚目は「鐘楼」です。本瓦葺き切妻造りで、一撞き50円で撞かせてもらえるようです。
③枚目は「薬師堂」です。本瓦葺き寄棟造りで薬師如来(秘仏)を安置しています。
最後は「本堂」です。
写真は東面を見ています。正堂と礼堂が複層しているのがわかります。正面からは広角で撮らなければならないほど横に長いのがわかります。

「奈良時代宝亀元年(770)の創立で現在のものは享保五年(1720)に再建された江戸時代中期の寺院建築の代表的建築物であり、西国第三番礼所である。西国礼所の中では最も大きいといわれ内陣の厨子の内深くに秘仏の本尊千手千眼観世音菩薩が祀られている。
本尊の両側には侍者として28部衆、内陣の背面には裏観音、東には鬼子母神、西に不動明王、大日如来、閻魔大王、その他諸尊が祀られている。
本堂の規模は外陣及び中陣は間口(33.03m)奥行(12.12m)内陣脇陣、後陣は間口(23.93m)奥行(13.03m)向拝は間口(11.81m)奥行(4.15m)を有している。」
唐破風屋根の豪華な向拝です。
組物や虹梁、木鼻や蟇股の彫刻など素晴らしい作品がいっぱいです。
外陣には千手観世音の文字が入る赤い大提灯が目に付き、至る所に貼られた千社札が歴史を物語っています。内陣との取り合う入口の上には数々の額が所狭しと並べられています。
大提灯のあった正面から右手(東側)には、今回御朱印を書いてもらった納経所があります。
外陣の格天井も、いい塩梅に焼け色が付き、歴史の風合いを感じさせてくれます。
大提灯の下でお参りをさせていただきました<(_ _)>
「本堂」と国名勝の粉河寺庭園との調和がとても素敵でした(^_^)v
西国三十三所の御本尊
場所:粉河寺





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