2022
12/31
土
前回に続きまして、京都市東山区林下町にあります
「知恩院」(ちおんいん)の続きです(^^)/
前回は「御影堂」まで見ましたので、その続きとなります「多宝塔」からです。
高さ14mの「多宝塔」は昭和33年(1958)の建立となります。丹塗りで綺麗な造りとなっていて、扁額には「霊塔」と書かれていました。
続いては、「多宝塔」の北側にあります「阿弥陀堂」です。本瓦葺き入母屋造り向拝3間付きの平屋建てで、下の屋根は裳階となっています。明治43年(1910)の再建です。
「御影堂」からは「渡り廊下」で繋がっており、2,3枚目は「御影堂」の縁側から撮りました。渡り廊下は巾も広く結構長さもありました。
「渡り廊下」から見た「阿弥陀堂」です。
向拝柱に「阿弥陀堂」と書かれた表札があります。説明板には、
「明治43年(1910)に再建された知恩院では新しい建物です。
像高2.7mの阿弥陀如来坐像をお祀りしています。正面の「大谷寺」は後奈良天皇の勅願です。屋根の妻には「葵」の紋、亙には「知恩院」の文字が見られます。
知恩院の一日はこの阿弥陀堂でのお勤めから始まります。現在は仏式結婚式も行っています。」
「阿弥陀堂」内陣の須弥壇には御本尊の阿弥陀如来坐像が安置されていました。
「阿弥陀堂」の北側には、「宝物収蔵庫」がありました。「宝物収蔵庫」の向かい側(御影堂の北側)には「集会堂」の工事が行われていました。
その「集会堂」は「御影堂」内から渡り廊下で繋がっており、有料ですが「方丈」にある「方丈庭園」を大人300円で観覧出来るようです。
「御影堂」の東側には「方丈」に繋がる立派な「唐門」がありますが、現在は立入禁止のようです。「方丈庭園」はこの中にあります。
少し戻った境内の東側には大きな「経蔵」があります。本瓦葺き宝形造りの裳階付きで、国の重要文化財に指定されています。
「経蔵は江戸時代初期の元和七年(1621)頃に二代将軍徳川秀忠公により、三門と共に建てられた。
内部は中央に宋版一切経五千九百余帖が納められた輪蔵が据えられる。輪蔵は中心を軸に腰部分に安置された八天部像の指し示す方向に一周させると、中に納められた経典を読誦したのと同等の御利益が得られるとされており、正面には考案者である中国南北朝時代斉の傅大士とその二子の像が奉安されている。
平成六年から十二年まで行われた修理により壁画や天井画の菩薩や飛天、鳳凰、楽器などは建立当初のまま保存し復原された。」と書かれていました。
「御影堂」の向かい、境内の南側で北面向きに建つ「宝仏殿」です。本瓦葺き寄棟造りの向拝付きで、平成四年(1992)の建立と、まだ新しい仏堂です。
「宝仏殿」と「経蔵」の間に「名号の松」の石柱がある大松がありました。浄土宗では「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えますが、これを「六字名号」と言うそうです。「名号の松」は、根元から6本に分かれていることから、その名が付いたそうです。
「名号の松」の奥には「納骨堂」がありました。太鼓橋を渡り、石段上に建つ「納骨堂」は、本瓦葺き宝形造りで裳階付きとなっています。知恩院は「阿弥陀堂」から裳階付きの建物が多いようで、豪華で大きく見せるようにしているのかな?
今回はここまでです(^^)/ 御朱印は御詠歌
場所:知恩院

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BEFORE「[京都府] 京都東山 浄土宗総本山の知恩院①」
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