2022
12/11
日
前回の続きとなります。
京都府東山区清水にあります『清水寺』(きよみずでら)です(^^)/
「轟門」から中に入りますと「回廊」となります。「回廊」の突き当たりが「本堂」西側となり、出世大黒天が祀られていました。
「本堂」西側から南側に来ると「清水の舞台」に出ました。国宝 本堂舞台は江戸初期の再建のようです。舞台はかなり広く感じられます。
「「清水の舞台」といわれ、本堂(国宝)の付属建築物で、平安時代の昔から構架されてきた。
現在の舞台組みは寛永十年(1633)徳川三代将軍家光の寄進による再建のままで、欄干親柱の金銅製宝珠に「寛永拾歳」と銘刻されている。
本堂外陣(礼堂)の廊下から南の谷へ間口約18メートル、奥行約10メートルに、長さ5.5メートル、幅30~60センチ、厚さ10センチの檜板を敷きつめ檜舞台として張り出し(舞台板は20~30年毎に張り替える) 床下は巨大な欅の柱に貫を縦横に通し楔でとめて頑強に支え、いわゆる舞台造りになっている。建築学的には、懸造りといい、礼堂の下から長短の欅柱で構築されており、観音様のお住まいとされる南インドの峻険な補陀洛(ポトラガ)山中の宝殿に実に似つかわしい。最南端は錦雲渓の急崖に13メートル強の高さで建ち「清水の舞台から飛び下りるつもりで…」の諺を生んできた。
本来は本堂に奉祀する御本尊千手観音様に向かって舞楽を奉納する、名実共に「舞台」で、現に重要な法要には舞楽、芸能などを奉納している。東、西両側の翼廊は、その楽人たちの詰める楽舎である。
この舞台からの、錦雲渓をへだてた向山の子安の塔と阿弥陀ヶ峰の眺めや、京都市街、西山の遠望は、まことに見事である。
左下方には「清水寺」の寺名を由来する音羽の滝がこんこんと三筋の清水を流し、その上手には同じく舞台造りで奥の院(重要文化財)が建つ。」
人が多すぎて、本堂のお参りも流れであまりきちんと行えませんでした(-_-)
御本尊は千手観音菩薩を祀り、清水の舞台と共に、日本一有名な寺院の代表的な建物の一つとなっています。
国宝 清水寺本堂も江戸初期の再建です。
「寛永十年(1633)徳川三代将軍家光の寄進再建。東・北・西に裳階をつけた正面十一間36メートル強。奥行九間30メートル強。棟高18メートルの高大な観音菩薩を祀る聖堂である。
創建は平安建都と同期(八世紀末)坂ノ上田村麻呂将軍夫妻の寄進による。
起り桧皮葺き、寄棟造りの屋根や、軒廻りの蔀戸吊りに優美な平安王朝の宮殿と貴族の寝殿造り邸宅の面影を伝承している。
正堂最奥の内々陣の大須弥壇の上に「清水型観音」といわれる清水寺独特の姿をする本尊十一面千手観音と脇侍の地蔵菩薩・毘沙門天(三尊とも秘仏で、それぞれ国宝の厨子内に安置され、33年毎に開扉される)および千手観音を守護する二十八部衆、風神・雷神を全体揃えて奉祀する。
外陣は礼堂で、普段一般の参拝は此所で礼拝する。ために内側正面の欄間に本尊・脇侍の御正体を大きな円鏡形に彫刻して奉懸する。
また他の各欄間には江戸時代の大絵馬が20面近く奉納されており、中央の間の金箔の太丸柱や折上小組格天井・三尊の梵字を彫刻する彩色蟇股などに江戸初期桃山建築様式の華麗さを見る。
なお礼堂の東西両端に翼廊(楽舎)を突出し、廊下の南側へ"舞台"を張り出している。
西翼廊(車寄せ)の鉄製の大錫杖(重さ90kg、長さ2m62cm)・小錫杖(14kg)と高下駄(一足12kg)は、明治初年、修行者たちが本堂下の音羽の滝から百段の石段万度上り下の満願成就を感謝して奉納したもの。弁慶の持物にふさわしいが、各所に奉納者の刻名が残っている。すぐ前には出世大黒天が笑坐し。左手の廂間内には塩断ち阿弥陀が鎮座する。その窓下長押の深い痕筋は堂廻りの数取り串の歴史的な擦り傷の跡である。
東出口の西側欄間には臨済宗の中興の祖と称えられる白隠禅師(1689~1766)揮毫の観音経偈句「慈眼視衆生・福聚海無量」の竪額が揚がる」
本堂を東側に回った所に「納経所」がありましたので、御朱印を書いていただきました。待っている間に「納経所」の前から「本堂」東面を
パシャ!

「本堂」を東に進むと、国の重要文化財となっている「釈迦堂」と、奥にある小さいのが「西向地蔵堂」となります。「釈迦堂」の右隣には「百体地蔵堂」がありました。
続いては「阿弥陀堂」です。檜皮葺入母屋造りで、御本尊はもちろん阿弥陀如来となります。江戸時代初期の再建で国の重要文化財となっています。
「阿弥陀堂」の更に奥には「奥の院」があります。檜皮葺寄棟造りで、「本堂」と同じ懸造りとなっています。こちらも「本堂」と同時期の再建で、国の重要文化財となっています。
懸造りを「音羽の滝」の真上にあると言うことで、後から見上げて撮るつもりでしたが、木が生い茂り残念ながら見えませんでした…
「奥の院」の舞台から
撮りました、「本堂」です。

さすが日本で一番有名な風景の一つですね~ もうちょっと紅葉が進むといいんですが、人が溢れかえりすぎるんで、ちょうどよかったかなぁと思いました(^^;)
「奥の院」からはちょっと南に行った場所では、「三重塔」まで含めた
写真が撮れます。

2~300m程南に下ると「子安塔」と名の付いた、小ぶりの三重塔がありました。創建年代は不明とのことですが、今あるものは1500年代の再建で国の重要文化財に指定されているようです。
「子安塔」から見た眺望です。左から「三重塔」「経堂」「開山堂」「轟門」「回廊」「本堂」となっています。
「子安塔」からは下に降って、清水寺の名前の元になった「音羽の滝」に向かいます。手前には「滝の家」等の売店がありました。
滝の手前に「滝之堂」がありました。滝の目前にあるお堂で、一角で滝関連の御守りやおみくじなどが売られていました。
「音羽の滝」です。たくさんの人が霊泉を求めて並んでいました。
「三筋の霊水は大昔より音羽山中より湧き出る清泉であり、創建以来一度も枯れる事なく、今日に至ります。観音様の功徳水である金色水とも呼ばれ、延命長寿、諸願成就のご利益があるといわれてきました。(霊水 冥加料 五百円)
またここは開山延鎮上人と開基行叡居士が出会った当山の起源の場であり、現在では不動明王をご本尊としてお祀りいたしております。
毎月二十八日の不動縁日には、朝七時より山内僧侶が揃い、信者と勤行を致します。是非とも早朝の荘厳な雰囲気の中、共にご参拝頂ければ幸いです。」
「奥の院」の懸造りは見えませんでしたが、「本堂」の懸造りは全体像がハッキリとわかります。
最後におまけですが、入口の「馬駐」の手前に「善光寺堂」がありました。撮り忘れです(^^;)
洛陽三十三所観音霊場第十番札所で本尊の地蔵菩薩立像となります。
最後に清水寺の西国三十三所観音霊場第十六番礼所御本尊の御朱印です。
場所:清水寺





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