2022
11/21
月
『宇治上神社』(うじかみじんじゃ)です。(^^)/
当日は、境内入口前にて道路工事の最中で、Uターンさせられる
車が多かったです。

社号碑には「世界文化遺産 宇治上神社」と刻まれていました。
朱色の鳥居は明神鳥居です。
参道の巾は広く高木の緑が本拝殿のあるパワースポットに誘います。
世界遺産「古都京都の文化財」の登録は平成六年(1994)です。
「宇治上神社は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、「古都京都の文化財」のひとつとして世界遺産リストに登録されました。このことは、人類全体の利益のために保護する価値のある文化遺産として、とくに優れて普遍的価値をもっていることを国際的に認められたことになります。
宇治上神社の創建は古くさかのぼりますが、平安時代に平等院が建立されるとその鎮守社となり、その後、近在住民の崇敬を集めて、社殿が維持されてきました。
本殿は、正面一間の流造の内殿3棟を並立させ、それを流造の覆屋で覆った特殊な形式となっています。建立年代については、蟇股の意匠及び組物などの細部の特徴から平安時代の後期に造営されたものとみられ、現存する神社本殿としては最古の建築です。
また拝殿は鎌倉時代の初めに建てられたもので、現存する最古の拝殿です。意匠的には切妻造の母屋の左右に庇をつけた形であり、屋根はその部分が縋破風となっていることなど住宅風となっている点に特色がみられます。
神のための本殿に対し、人の使う拝殿には住宅建築の様式が採用されることが多く、ここでは、拝殿が初めて建てられた頃の住宅建築の様式である寝殿造の軽快な手法が、鎌倉時代の再建にも受け継がれたと考えられます。
本殿の後方は広大な森林が広がっており、こうした環境は緩衝地帯の一部となっています。 」
参道の先に太鼓橋が架けられ、「表門」から境内に入ります。
「表門」の正面にありましたのは、国宝の「拝殿」です。右手には「授与所」がありましたので、御朱印帳を預け参拝します。
塀際には「離宮いろは」の紅葉がありました。
「当社は江戸時代までは、「宇治離宮明神」・「離宮八幡宮」・「離宮上社」(宇治上神社)と呼ばれておりました。その当社の本・拝殿に寄り添うように一緒に時の流れを積み重ねてきた
「いろは紅葉」・・・
そこから名前を『離宮いろは』と名づけました。「いろは紅葉」と言うのは、葉は小さく、分かれた裂片を「いろはにほへと・・・・・・」と数えたことが由来です。
秋には褐色がかった黄色から紅色に紅葉して散り春には濃い紫色の花をつけます。」
横に長い拝殿は檜皮葺き切妻造りで向拝付きとなっています。拝殿は立入禁止となっており、向拝にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
国宝拝殿は鎌倉時代の建立です。
「桁行六間 梁行三間 一重切妻造 両妻一間庇付 檜皮葺 (寝殿造様式)」
と書かれていました。
拝殿前にあった「清め砂」です。
ここの神社の清め砂だとお清めの効果は十分にありそうです。
境内の東側には御神木のケヤキと、「桐原水」がありました。「桐原水」は手水のようで、拝殿のお詣り前に身を清めさせて頂きました。
平安時代後期に建立された国宝の「本殿」です。
写真に写っている本殿は「覆屋」で、内殿に三社あります。御祭神は右殿に菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、中殿に応神天皇(おうじんてんのう)、左殿に仁徳天皇(にんとくてんのう)となっています。

覆屋が桁行五間、梁行三間の檜皮葺き流造です。内殿は檜皮葺き一間社流造となります。
本殿扁額には「正一位離宮太神」と書かれておりました。その扁額のある前にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
境内の西側に「神輿蔵」がありました。地域のお祭りに出るのかな?
本殿の西側には、手前に末社の「厳島社」と、奥に末社の「稲荷社」があります。本殿の東側には、摂社の「春日社」がありました。「春日社」は国の重要文化財となっています。
宇治上神社の御朱印です。
場所:宇治上神社





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