2022
11/16
水
『三室戸寺』(みむろとじ)です(^^)/
まずは本堂前から見た、ハスと寺務所(納経所)です。
寺務所の北側(本堂の西側)には「宝蔵庫」がありましたが、中には入れませんでした。この奥に重要文化財の「十八神社本殿」があるようでしたが、それも見られませんでした(-_-)
京都府指定有形文化財の「本殿」ですが、前回紹介してますので省きます。「本殿」前には「勝運の牛」が、牛の口の中にある玉をさわると勝運がつくと伝えられているそうなので、触ってきました。
「本堂」の一つ奥にあるのが「阿弥陀堂」で、その向こうに「鐘楼」、一番奥が「三重塔」です。
こちらも「本堂」と同じく、京都府指定有形文化財の「阿弥陀堂」です。本瓦葺き寄棟造りのお堂は親鸞の父の墓があった場所に建てられたようです。
入口上には「四十八願寺」の額がありますが、有範卿が、隠棲していたお寺の額と伝えられています。入口横の説明板には
"親鸞聖人の父 日野有範卿の墓"として、
「親鸞聖人の娘覚信尼が、墓上に阿弥陀堂を建立し、阿弥陀三尊を安置し、祖父の菩提を弔いました。その三尊は、宝蔵庫に安置されています。」と書かれていました。
続いて「鐘楼」です。こちらも京都府指定有形文化財で江戸時代の建立のようです。
謡曲「浮舟」と浮舟古跡碑になります。
「謡曲「浮舟」は、夫薫中将と兵部卿宮(匂の宮)との恋の間に揺れ迷う女性浮舟を描いた源氏物(宇治十帖記)である。
旅僧が初瀬から上洛の途次、宇治で一人の里女に会い、浮舟の物語を聞く。里女は「自分は小野の里に住む者です」と言い、旅僧の訪問を期待して消え失せる。
旅僧が比叡山の麓の小野で読経して弔っていると浮舟の霊が現れて、宇治川に身を投げようとしたが物の怪に捕えられ、苦しんで正気を失ったところを横川僧都に助けられた次第を物語る。旅僧の回向で心の動揺も消え、都卒天に生まれ得ると喜び、礼を述べて消えて行くという雅びた幽玄味を持つ曲である。
「浮舟と古跡碑」は、浮舟の宿命と懊悩が伝わる供養塔として追慕の念が絶えない。」
源氏物語 宇治十帖(七) 浮船
「正月、中君のところに宇治から消息があった。浮舟のことを忘れられない匂宮は、家臣に尋ねさせたところ、まさしく浮舟は、薫君にかくまわれて宇治にいることがわかった。そして、ある夜、闇に乗じ、薫君の風を装って忍んで行く。浮舟が事に気づいた時はもう遅かった。
浮舟は、薫君の静かな愛情に引きかえ、情熱的な匂宮に次第にひかれていく。薫君は物思いに沈む浮舟を見て、一層いとおしく思われた。
如月の十日頃、雪の中、宇治を訪れた匂宮は、かねて用意させていた小舟に浮舟を乗せ、橘の小島に遊び、対岸の小家に泊って一日を語り暮らした。
橘の小島は色もかはらじを この浮舟ぞゆくへ知られぬ
浮舟は、二人の間でさまざまに思い悩んだ末、遂に死を決意する。」
山の中に佇む「三重塔」が雰囲気があっていいですね~
いろんな角度から撮り進めて近づいて行きましたが、とにかく木々が邪魔して全景が撮れません…
「三重塔」も京都府指定有形文化財です。元禄十七年(1704)の建立ですが、元は兵庫県佐用郡三日月村の高蔵寺にあったものを明治四十三年(1910)に買い取り移設したそうです。
「鐘楼」後ろから見た「阿弥陀堂」と「本堂」になります。
「本堂」とハスのコラボです。
ハスの花が咲いてたらもっと映えたかもしれませんねぇ~(^^;)
最後に境内の南側にあります庭園は「与楽園」と言います。5000坪の中に枯山水や池泉回遊式などがあり、春から紅葉の時期まで季節の花が楽しめるようです。
御朱印は西国の御詠歌です。
場所:三室戸寺





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