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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2022 11/06

[京都府] 世界遺産「古都京都の文化財」宇治平等院②


前回に引き続き、京都府宇治市にあります
『平等院』(びょうどういん)の後半です(^^)/

写真は国宝「鳳凰堂」の南翼廊です。サルスベリの花(ピンク色)が色を添えます。

平等院② 南翼廊





南翼廊の向かいに「ミュージアム鳳翔館」入口がありますので入場します。この路がそうなのかわかりませんが、「法花堂之路」として一部が発掘されたと記されていました。

平等院② ミュージアム入口

平等院② 法花堂之路

「平安時代の平等院には、境内をめぐるいく筋かの小道があったことが記録にみえます。阿字池の東側を巡る野路、鳳凰堂の南側の高台をめぐる山路がそうです。この山路の一つとして法花堂之路と呼ばれた園路がありました。
 法花堂之路は鳳凰堂南翼廊から反橋を渡った対岸から始まる小道で、南に向かってのびていました。途中に頼通が建立した法華堂があったため、この名前が付いたと考えられています。
 平成十年に、この位置で法花堂之路の一部が発掘されました。見つかったのは、河原石を並べた階段で、反橋から続くこの路の起点です。法花堂之路はここから斜面を西に登り、そこから南へと続いていたと考えられます。発見された遺跡は地下に保存し、同じ位置に再現展示をしました。」




「ミュージアム鳳翔館」は平等院の国宝など、文化財が数多く展示されており、特に「木造雲中供養菩薩像」26躯は、鳳凰堂中堂の壁を飾る浮き彫りの菩薩像半分を展示しており、全ての像が変化に富んだポーズをとるなど見る者を魅了してくれます。ミュージアムなので写真がないのが残念です…




ミュージアムを出て北に出ると、塔頭の「浄土院」がありました。

平等院② 浄土院

平等院② 浄土院説明

「浄土院は平等院の塔頭で、浄土宗の栄久上人が、明応年間(十五世紀後半)に平等院修復の為に開創した寺と伝わり、「都名所図絵」には「平等院奥院」「浄閣」などと示されている。江戸時代には養林庵や知学庵など浄土院の子院が鳳凰堂西南を中心に多数存した。浄土院には平等院に関係する多くの文化財が残されている。そのうち、養林庵書院(重要文化財)は桃山城の遺構と伝えられ、障壁画は、床の間の図が雪景山水図、襖は籬に梅図、天袋は花卉図で構成され、作者は、その作風から狩野山雪と考えられ、京狩野の代表的作家の特色を著した作品として、その価値は極めて高い。
 また京都府指定文化財として平等院修造勧進状一巻・平等院旧起二巻、細川三斎作庭と伝わる養林庵書院庭園があり、宇治市指定文化財として、木造帝釈天立像(平安時代後期)、木造阿弥陀如来立像(鎌倉時代後期~南北朝時代)、和漢朗詠集巻下断簡[平等院切](平安時代末期)がある。
 帝釈天立像は、やさしい着衣にやや重い感じを付加され、程よい量感のなかで、少年相の清純な感じの相貌や、浅く柔らかな衣紋表現に、十世紀末から十一世紀前半にかけて活躍した、仏師康尚(定朝の師)の特色がはっきりと滲みでている。阿弥陀如来立像は、ヒノキ材を用いた寄木造りの堂々たる大作の像で、両手首先から台座を含めて当初のまま残っている。うつむきぎみの頭部、生々しい感触を持つ指先などに当代の特色がよく示されている。
 和漢朗詠集巻下断簡は、巻下雑部のうち、禁中・古京の全文十五行文である。古来筆者を源頼政(1105~1180)と伝え、平等院切という名称も頼政との関係で付されたと思われる。本稿は平等院切の中でも、全十五行文の断簡として大きく、古書研究はもとより、国文研究などの資料としても貴重である。
 また、古図によると平等院山内で最も古い書院として大書院(非公開)があり、蘭香斎玉寶の獅子図四面や後醍醐天皇が三種の神器を納め平等院に逗留したと伝えられる御座所などが残されている。」





「浄土院」本堂より南側の奥に見えている檜皮葺の屋根が「養林庵書院」で重要文化財となっています。

平等院② 養林庵





「浄土院」敷地内の北側にありましたのは「羅漢堂」です。本瓦葺き入母屋造りで寛永十七年(1640)の建立です。

平等院② 羅漢堂

平等院② 羅漢堂説明

「棟札からは、この堂は寛永十七年に建立され、大工は京の善衛門、仏師が京の伊兵衛、播主(施主)は星野浄安道斎(宇治茶師)とその息子たちであり、肝煎は藤村味斎・井上九左衛門であることがわかる。また、江戸時代の地誌「都名所図絵」巻五などによると、堂全体の形式や、その位置が変化していないことが知られる。
 主要部材は、建立当時そのままに保存され、内部の鏡天井に描かれた龍の彩色画の保存状況も良好で、なおかつ和様が主流の平等院内の建物群にあって禅宗様を主体とした特異な存在で、美術的・歴史的価値が極めて高く貴重である。
 なお、寛永十七年の記がある棟札と銘札一枚、羅漢堂の扁額一面、須弥壇一基、十六羅漢像一括も、羅漢堂の価値をさらに高めるものとして附指定になっている。
 また建立時の勧進名簿や願文約千紙近くが長押上小壁に木箱にて残され、当時の風俗を知ることができる。」と、ありました。





続いては「浄土院」本堂より北側にありました、もう一つの塔頭「景勝院不動堂」です。不動堂は景勝院の本堂で、本尊は災難除け不動明王となります。

平等院② 不動堂門

平等院② 不動堂

平等院② 不動堂内部






「不動堂」敷地内の南側に「源三位頼政公の墓」がありました。

平等院② 源頼政墓

「源頼政は保元・平治の乱で武勲を挙げ、平清盛の奉請により、源氏として初めて従三位に叙せられました。歌人としても名高く、勅撰集に優れた和歌を多く残しています。
 治承四年(1180)五月二十六日平家追討の兵を挙げた頼政は、宇治川で平知盛軍の追撃を受け、平等院境内にて自刃しました(齢七十六歳)。」




「不動堂」の隣にありました「池殿地蔵尊」です。詳細は不明です。

平等院② 地蔵堂





「不動堂」前から「鳳凰堂」の北翼廊から中堂と尾廊になります。

平等院② 北翼廊、中堂、尾廊





「不動堂」の更に北側に「景勝院」の門があり、中には「景勝院」の庫裡がありました。

平等院② 景勝院門

平等院② 景勝院庫裡






「鳳凰堂」廻りをグルッと一周して元の場所に戻ってきました。もう一度「鳳凰堂」の全景をお楽しみ下さい(^^)/

平等院② 鳳凰堂北より

平等院② 鳳凰堂北東より

平等院② 鳳凰堂東より





漸く「鳳凰堂」内部の拝観時間となりましたので、北翼廊から靴を脱いで中に入ります。

平等院② 鳳凰堂拝観

平等院② 鳳凰堂北翼廊






中は撮影禁止だったので、外から撮りました(^^)/ 
中央に鎮座するのは、御本尊で国宝の「阿弥陀如来坐像」です。御本尊の左横に見えている壁に掛けられた「木造雲中供養菩薩像」は、先程のミュージアム鳳翔館に収蔵されていない残りの26躯の数躯です。2枚目は格子戸越しの御本尊。

平等院② 阿弥陀如来

平等院② 格子越しの御本尊





写真撮影禁止で、しっかり撮れませんでしたので、パンフレットより紹介します。

平等院② パンフレット①

平等院② パンフレット②



宇治平等院はこれで終了です。

御朱印は御本尊の阿弥陀如来です。
平等院(阿弥陀如来)



場所:平等院


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