2022
10/27
木
石山寺に続いて本日最後に訪れたのは、『建部大社』(たけべたいしゃ)です(^^)/
境内より西に100mほどの所にある参道口に社号碑がありました。大きな社号碑には「近江國一之宮 建部大社」と刻まれ、近江国(現在の滋賀県域)の一之宮であることがわかります。
社号碑と鳥居の間に境内図と由緒が書かれた案内板がありました。
「社伝によると、景行天皇四十六年(316)に御妃布多遅比売命(ふたじひめのみこと)が神崎郡建部の郷(御名代の地)に日本武尊の神霊を祀られたのがはじまりとされ、その後、天武天皇白鳳四年に、近江国の中心であった瀬田の地へと遷し祀られました。
古来、「唐橋(日本三大古橋の一つ)を制する者は天下を制す」といわれてきたように、瀬田川を挟んでの戦が数多く、当社も幾度となく戦火に見舞われていますが、その度に再建され現在にいたっています。
御祭神日本武尊は九州の熊襲(くまそ)族・東国の蝦夷(えみし)を平定され、日本の基を作られた英雄です。武勇必勝の神・厄除け開運の神として篤い崇敬を集めています。」と、書かれていました。
「一ノ鳥居」です。石製で明神鳥居と思われます。
扁額は豪華で金縁・金文字で社名が書かれていました。
100mくらい東に参道を進んだ所で、左(北)に曲って境内に入っていきます。
入ってすぐの左手にある案内板では御祭神が日本武尊とわかります。相殿に天明玉命、権殿に大巳貴命と書かれていました。
「二ノ鳥居」も石製で明神鳥居です。鳥居を越えて中に進むと「神門」がありました。
「神門」の手前に豪華な「手水舎」がありました。手水は御神水となっており、自噴した水で霊水として持ち帰ることも出来るようでした。
檜皮葺の豪華な「神門」です。建立年代等は不明です。
中央には「御神燈」と書かれた大提灯が下がっています。
「神門」入って真っ直ぐ延びる石畳の先にあるのは「拝殿」になります。左側には「社務所」があり、「神門」に隣り合うのは「授与所」のようです。
「社務所」の前には、水につけると文字が浮き出す「水みくじ」と、頼朝公の出世水と謳った自噴水をポリタンク持参で持って行く人も見えました。
「拝殿」と拝殿手前にある御神木の「三本杉」です。三本杉は大己貴命が権殿に祀られた際に一夜にして成長したと伝わる御神木で、建部大社の神紋にもなっているようです。
「拝殿」手前の向拝には、雨除けとして屋根が設けられていました。
拝殿にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
境内の周辺には数多くの摂末社がありまして、
写真も撮らせていただきましたが、記事が膨大になっちゃったので、今回は割愛させていただきました<(_ _)>

拝殿奥の御本殿の周りは「透き塀」で囲われており、左側の屋根が「本殿」で日本武尊が祀られ、右の屋根が「権殿」で大己貴命が祀られています。
「拝殿」奥の「幣殿」より「本殿」の入口になる「唐破風門」にてお詣りをさせていただきました<(_ _)> 蟇股などの彫刻が立派でした。
「本殿」より右側にも沢山の摂末社がありました。(割愛)

建部大社は以上です。近江國一之宮だけあり、パワースポット的な魅力に溢れていました。
御朱印
場所:建部大社





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