2022
10/22
土
大津市の西国参詣に来てますが、『石山寺』(いしやまでら)の後半です(^^)/
前回は「蓮如堂」までを見てきましたが、この段にある堂宇の最後は、檜皮葺宝形造の「御影堂」です。国の重要文化財となっています。
「本堂の東、鐘楼の下にあるこの御影堂は、室町時代の建立で、正面三間、側面三間、宝形造、檜皮葺で、背面に一間の張出しを設けます。堂内は中央間後方一間を板壁で囲って内陣とし、内部の須弥壇には、弘法大師・良弁・淳祐の遺影(御影)を安置しています。
建立当初は、中央一間に須弥壇を置く形式でしたが、慶長期に堂全体の修理が行われ、江戸中期に虹梁を加え後方を内陣とする改造がなされました。柱は全て円柱とし、外観は正面及び両側面の中央を板塀とし、半蔀(はじとみ)を吊って、障子をたてます。
室町時代の軸部を残し、慶長期の洗練された外観をもつ建築として、平成二十年(2008)十二月、国の重要文化財に指定されました。」
須弥壇の中央に安置されているのは弘法大師像かな?像の後の軸は弘法大師のようです。
上の段には「多宝塔」の姿もうかがえます。
境内の高さの端境に「石山寺硅灰石」の岩が埋めています。
「蓮如堂」の横を抜けると、石段を登った一段高い位置にある「本堂」に入ります。本堂は国宝になります。
石段下に「本堂」の説明板がありました。
「石山寺本堂は、桁行七間、梁間四間、寄棟造の本堂と桁行九間、梁間四間、寄棟造で懸造(舞台造)
の礼堂と、その両棟を結ぶ相の間によって構成される総檜皮葺の建物です。
石山寺の建立は古く、本堂は天平宝字五~六(761~2)にかけて造東大寺司によって拡張されたことが正倉院文書に見えます。その後、承暦二年(1078)に焼失し、永長元年(1096)に再建されたのが、現在の本堂で、天平宝字頃のものとほぼ同じ規模をもつ滋賀県で最も古い建物です。礼堂と相の間は、慶長七年(1602)に淀君によって建て替えられました。
昭和二七年(1952)に国宝に指定されました。」
「本堂」は入口以外
写真撮影禁止
となっていましたので、写真がほとんど撮れませんでした…


入口より左手が懸造りの舞台があり、舞台下も山の斜面となっていて
写真を撮ることはできませんでした… 右側が内陣となります。御本尊は如意輪観世音菩薩となります。

入口の横に「紫式部源氏の間」と言うのがありました。
「今を去る約千年の昔、寛弘元年八月十五夜、紫式部この部屋に参籠し前方の金勝山よりさし昇る中秋の名月が下の湖面に映える美しい景色に打たれ構想の趣くままに筆を採られたのが有名な「源氏物語」であります。」
「本堂」から北に出て、一段高い部分にあったのは、国の重要文化財となっています「三十八所権現社本殿」です。
「 本殿は、一間社、流造、屋根は檜皮葺です。石山寺は桃山時代に大規模な伽藍整備がなされており、本殿の建立は本堂の礼堂と同じく慶長七年(1602)になります。
三方に刎高欄付の榑縁を廻らし、正面には木階七級と浜床を張ります。部材の保存状態は良好で、内陣内部を素木とし、外陣と外部は極彩色で彩られていたことがわかります。
三十八所権現社は石山寺の鎮守として創建されており、真下に位置する蓮如堂は、元は三丈所権現社の拝殿として建立されたものです。
蓮如堂と合わせて、寺院における鎮守社本殿および拝殿の構成や礼拝形態を伝える貴重な遺構として、平成二十年(2008)十二月、国の重要文化財に指定されました。」
続いては正倉院で有名な、校倉造りの「経蔵」です。
「桁行三間、梁間二間、高床校倉、一重、切妻造、桟瓦葺
経蔵は、高床の校倉でかつては国宝の淳祐内供筆聖教等を収蔵した建物です。
建物は、頭貫木鼻の意匠や桁や垂木に反り増しがあることなどから、桃山時代の十六世紀後期頃の建立と考えられます。
八角の束柱上を頭貫で繋ぎ、その上に台輪が乗り、校木は桁行・梁間方向とも同じ高さに十段組んでいます。台輪は木鼻の部分で矧ぎ木をして一木のように見せています。
県下における数少ない校倉造の遺構の一つで、また、全国的にも類例の少ない切妻造の校倉として、さらに石山寺にとって重要な経典類が良好な状態で長く収納されてきた建築としても貴重です。」
「多宝塔」までは、更に一段高い位置まで石段を上がります。
「多宝塔」は国宝で、その優美さからか日本三名塔(多宝塔)の一つに数えられています。
「多宝塔は、下層が宝形、上層が円形の平面に宝形造の屋根をのせた二重の塔です。石山寺多宝塔は源頼朝の建立と伝えられ、建久五年(1194)の銘がある現存最古の多宝塔です。上層は小さく、軒はゆるく長く流れ、上下の均整がとれた美しい姿をしています。
また、内部の四天柱に描かれた柱絵(重要文化財)には、創建当初からの仏像や文様を見ることができ、須弥壇の上には快慶作の大日如来坐像(重要文化財)を祀っています。
昭和二六年(1951)六月、国宝に指定されました。」
本当に、均整の取れた美しい「多宝塔」です。
続いては「多宝塔」の少し上にあります「心経堂」です。檜皮葺き宝形造りで鮮やかな丹塗りが美しい建物に仕上がっています。
「その昔花山法皇が西国三十三所観音霊場を中興されてより壱千年の記念事業として長年にわたり納められた心経寫経を永久に保存するために建立されました。約五.四メートル四方の方形造り床面積三十三平方メートル。総檜作り壁柱は丹で塗られ堂中央の台座に乗せられた八角輪堂の一面には如意輪観世音菩薩半跏像が安置され残る七面に寫経が納められる。」
「心経堂」を東に行くと山の斜面に出ますが、そこに跳ね出して建っていたのは「月見亭」です。
「保元年間、後白河上皇の行幸に際して建てられたといわれ、はるかに琵琶湖を望みながら瀬田川の美しい風景を楽しむことができます。「近江八景 石山の秋月」の図で描かれており、毎年中秋の名月の日に行われる「秋月際」では、多くの人々がここから名月を楽しみます。」
瀬田川が見えました。ここに月明かりと中秋の名月があれば、さぞ美しいでしょう。
閉館中でしたが、「豊浄殿」は入場料300円で入れるようです。
懸造りの「光堂」です。平成20年、石山が発祥の地とする東レ株式会社の寄進で建てられた堂宇のようです。鎌倉時代に存在したものを復興したそうです。
「光堂」からすぐ南には「紫式部」の銅像がありました。
帰りの道中では「甘露の滝」や、「八大龍王社」の中には「龍穴ノ池」などがありました。
石山寺はここで終了です。ご覧頂きありがとうございました<(_ _)>
西国三十三所の御朱印
場所:石山寺





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