2022
10/07
金
引き続き、滋賀県大津市にあります
『正法寺(岩間寺)』(しょうほうじ(いわまでら))です(^^)/
前回は、入口手前の「ぼけ封じ近畿十楽観音」までとなりましたが、今回は入口から見ていきます。山門のない入口で両脇に鋳造製の仁王像が待ち構えます。
境内参道を少し進んだ場所に今は使われていない手水舎がありました。その奥には「岩間寺集会所」と書かれた額がある休憩所兼客殿があります。玄関口に網が貼られているので普段は使用してないのかな?
参道中央にある巨木は「火伏の銀杏」です。樹高27mもある大銀杏です。
左手に「大師堂」がありました。銅板葺き宝形造りの向拝付きです。
「当山岡山泰澄大師
白鳳十一年(682)六月一日、越前麻生津に生まれる。俗姓は三神氏、父は安角、母は伊野氏。
幼少の時より神童的で、常に十一面観音を念じ、僧侶となってからは荒修行を積み、その名声は早くより中央にも知られていた。
大宝二年(702)には鎮護国家法師に勅任されており、養老六年(722)には元正天皇の病気平癒のため、奈良の都に来たと伝えられている。同年、加賀白山を開く途上元正天皇の勅命により、弟子神部浄定と少沙弥(寝行者)を従え、当山を開く。神融禅師号を賜る。
別名"越の大徳" "金鎮大師"
神護景雲元年(767)三月十八日、八十六才で示寂。」
金文字で「開山宗祖大師堂」と書かれた派手な扁額の前にてお参りをさせていただきました<(_ _)> 厨子の中央には弘法大師像が祀られていました。
「大師堂」の前辺りにあったのは「稲妻龍王社」です。
「稲妻龍王は当山護法善神でこの銀杏の大樹に住む。よく水を司り雷難・火難を除き大魔から護り給う。」
左から「本堂」、「三十三所観音堂」、「不動堂」となります。
手水舎です。身を清め本堂のお参りに進みます。
よく見えませんが、「本堂」は桧皮葺かな~?入母屋造りの桁行側に入母屋の妻側がくっつき、そこが入口になっている複層した屋根形状のようです。
本尊の御開帳の御触書がありましたが、どうやら10月15日から12月4日までで見ることはできませんでした。(訪問は7月18日です)
「天正五年(1577)、醍醐理性院の堯助僧正により、千手堂として再建され、その後、寛永年間(江戸中期)に解体修理がなされている。
本堂元正天皇御念持佛千手観世音菩薩(像高四寸八分・金銅佛)は秘佛で、三重の厨子の中に安置されている。脇侍に、等身大の吉祥天・婆蘇仙(千手観音の眷属の二十八部衆の一)をしたがえる「汗かき観音」「雷除観音」「厄除観音」として名高い。」
入口内部の床は板張りで、天井は格天井、長押上は大小様々な額が飾られていました。
入口内の西側には納経所がありましたので、御朱印をいただいて参りました。
入口を東側に行くと縁側に出ますが、左に西国三十三所観音堂と書かれた札に沿って進みます。正面に見える入母屋の建物は次回お伝えする「不動堂」です。
正面の縁側通路沿いにありますのが「西国三十三所観音堂」です。
本堂内部(外陣)は中央に一段上がった座敷のようなものがありますが、中央に金色の多宝塔模型があります。右手奥にはガラス張りの中に仏像も安置されていました。
今回はここまでです。次回正法寺(岩間寺)の最終回です(^^)/
御朱印は西国三十三所の御朱印です。
場所:正法寺(岩間寺)





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