2022
09/22
木
南法華寺(壺阪寺)に続いては、
国の史跡になります『高取城跡』(たかとりじょうあと)に行きました(^^)/
入口前の道路脇に
車を
駐車し、入口からは歩いて登ります。


入口にありました「史跡 高取城跡」の説明板です。
「高取城跡は、奈良盆地の南端584mの高取山の山頂を中心に、急峻な山上の地形を巧みに利用して築かれている。何段にも重ねた石垣や喰違い虎口(出入口)、急斜面により守られ、山麓の城下町との比高差は400m以上を測る。
十四世紀前半に土豪越智氏が南朝の呼びかけで築城したのが始まりといわれている。織田信長の一国破城により、天正八年(1580年)に一旦は廃城となるが、天正十二年(1584年)の筒井順慶による復興をへて、豊臣秀長の家臣本多氏により天正から慶長の頃(16世紀末~17世紀初頭)に近世城郭として完成した。その後江戸時代に入り、寛永十四年(1640年)に譜代の植村氏が入部して二万五千石の居城とした。以後明治維新まで、植村氏が十四代に渡って城主となった。山上に本来の城と家臣の屋敷地を取り込んで、城と城下町の二様相を山城としてまとめた特徴ある形であった。そのため山城としては広大にならざるを得なかった。しかし、平穏な時代には山上の生活が不便なため、藩主をはじめ多くの家臣が山を降り、その結果、城郭と城下町が離れた特異な形態となっている。
二の門・壺坂口門・吉野口門の内側は「城内」とよばれ、山中のすべての曲輪を含んだ範囲が「郭内」とよばれている。現在は、郭内に建造物は残っていないが、広大な縄張りと堅牢な石垣群が残されており、国史跡に指定されている。」
調査用でしょうか?入口には仮設トイレが置かれていました。
入口からは本丸まで550mあるようです。
山道を登っていくと、所々に石垣が数多く現存しています。
本丸まで450mの地点に来ました。
「壺阪口門跡」と書かれている場所です。
「史跡高取城跡」と刻まれた石碑がありました。
「壺阪口中門跡」です。
右行きは本丸まで300m、左は二の門跡まで560m、今回は本丸に向かいます。
説明板には「史跡高取城跡 大手道登城案内図」下記のように書かれていました。
「この場所には、高取城の「大手門」がありました。大手門は「御城門」とも呼ばれ、城内への入り口である「二の門」「壺坂口門」「吉野口門」から城内に進むと、この「大手門」の前でひとつになります。この大手門が二の丸、本丸への唯一の入口です。
本丸はまさに高取城の中心であり、高取山の最高所(標高583.61m)にあります。二の丸は高取城で一番広く日当たりのよい平場があり、藩主の屋敷や政庁がありました。本丸と二の丸からは気象条件により葛城・金剛山の山並みから広大な吉野地域を望むことができます。
本丸まであと少し、がんばってください。」
「大手門跡」です。
二の丸上段への入口である「十三間多門跡」を過ぎると、「二の丸跡」に出ました。
「太古櫓」前にありました説明板には「日本三大山城」と書かれています。
この「高取城跡」が標高584m、備中松山城が標高480m、美濃岩村城が標高721mと書かれていました。
「十五間多門跡」と「太古櫓跡」と「新櫓跡」です。
「天守台石垣」の前に「高取城址」と刻まれた城碑がありました。
「本丸→」の看板がありました。この石垣の間を抜けると本丸です。
「本丸」に到着です。
「本丸は大小二棟の天守閣と鉛櫓・煙硝櫓・多聞櫓(塁上に設けた細長い単層の櫓)と塀によって接続する。これを連立式形態といっている。東西四十間余(約73m)南北三五間(約64m)の凸字型の平面をなしている。地型の変化に対応して築かれた山城は、自然に不規則な縄張りとなる。
しかし、この本丸は平城城郭のような整然さを有するので築城技術の完成したころの構築とみなされる。
昭和47、48年度の県教育委員会の高取城修理にともない、本丸東北隅の部分を対象に、石垣の実測、根石の状態を調査したが、石垣のひずみの部分は後補のものであり、隅石には転用材を 使用していることが明らかになった。転用石の中には漆喰の付着した石が二箇検出され、切石古墳の石を使ったものと想定されている。漆喰については、分析によると桜井付近の古墳漆喰の分析値と似ていると報告されている。
また、本丸鉛櫓下の背面に補助的に設けられた付台石垣の下に配列された胴木の存在は、山城での遺存例として現在のところ唯一の発見例で注目すべきものである。」
雨上がりで雲が多く、眺望は全く良くありませんでした(-_-) 残念…
御城印は高取城跡から距離約2kmの所にあります、
奈良県高市郡高取町大字上土佐20-2 観光案内所「夢創舘」にて300円で購入できます。
定休日は月曜日なのでご注意下さい(^^)/(月曜日が祝日の場合は翌日)
場所:高取城跡





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