2022
09/17
土
『南法華寺(壺阪寺)』(みなみほっけじ(つぼさかでら))の最後になります(^^)/
前回は、山を背にして中腹に佇む「大観音像」までを見てきましたが、続いては「天竺渡来釈迦如来大涅槃石像」(以下「大涅槃像」)からとなります。
「大涅槃像」は全長8mの大きさがあるようです。
「この石像、インドから招来された。インドにおける奉仕事業のご縁で始まった国際交流・石彫事業の一環として製作された。
涅槃像はすべての教えを説き終えて入滅せんとする釈迦の姿を顕している。
釈迦の最後の説法は、「自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)」自らを灯明とし、自らをよりどころとし、法を灯明とし、法をよりどころとすることを説かれた。
釈迦がいる、いないにもかかわらず自分を頼りとし、正しい教えを頼りとすることを意味している。」
ここ壺阪寺はインドとの関係が深く、天竺渡来の大仏像の数では他に類を見ない規模となっています。3回目に撮った高台とは別の位置から見た境内です。下の「多宝塔」、大仏の上には「禮堂・八角円堂」がうまく画面に収まっています。
回廊を通り、全て石造りでできた「大石堂(納骨堂)」に来ました。
「壺阪寺は、インドにおけるハンセン病患者救済活動へのご協力のご縁から、インドにおいて石彫事業を推進し、壺阪の伽藍に大石造文化を展開している。
この御堂は、インドのアジャンタ・エローラ石窟寺院をモデルに造られ、各所にインド特有の石彫を施し、身の丈三メートルの十一面千手観音菩薩像を安置し、日印の石文化の融合を目指しました。御堂奥の壁には、全国の信者より寄進奉納された千躰仏、阿弥陀仏が荘厳され、さらに、その奥には尊霊を永代に供養する一室が設けられています。」
石堂内の壁面は五百羅漢のように所狭しと仏像が安置されていました。
大石堂の前はデッキになっていて、正面の建物は休憩所だったかな…左側の縁台がある建物は「つぼさか茶屋」(休業中)だと思います。デッキからの眺望も晴れていたらかなりいい写真になったと思います…
休憩所の横から下に降ります。上のデッキは懸造りで造られていました。
最初の「仁王門」前まで戻ってきました(^^)/
そこから正面に見える建物は、養護盲老人ホーム「慈母園」です。
最初に素通りした建物「大講堂」を最後に見学しました。
「大講堂」内には、平安・鎌倉時代~江戸時代の仏像や宝物が常設展示されていました。
最後に紹介する御朱印は江戸時代の復刻御朱印です。
場所:南法華寺(壺阪寺)





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