fc2ブログ

大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2022 09/02

[奈良県] 西国三十三所観音霊場の南法華寺(壺阪寺)① 仁王門~多宝塔


今回は奈良県高市郡高取町にあります
『南法華寺』(みなみほっけじ)に行きました(^^)/

「南法華寺」は通称を「壺阪寺」(つぼさかでら)と言い、当寺のホームページもこの呼称でタイトルが表記されておりました。
今回はあいにくの雨模様となりましたが、大きな寺院のため4回に分けてお届けします。まずは、入山受付にて大人600円を入山料として納め入場します。

壺阪寺① 入山受付





入山受付の後にある大きな建物は「大講堂」ですが、「大講堂」は最後に紹介します。
「大講堂」前にあった大きな看板には沿革が書かれていました。

壺阪寺① 沿革

「壺阪寺は、大宝三年(西暦703年)弁基上人によって開かれた霊山で、正式には「壺阪山南法華寺」と言います。十一面千手観音様をご本尊として祀る観音信仰の一大道場で、西国霊場の第六番札所です。古来から眼病に霊験あらたかな寺として信仰され、説話「壷坂霊験記」における、お里・沢市の話は、あまりにも有名です。また、日印合同でさまざまな浄業を行っており、境内にはインドで製作された大観音石像(全高20m)や仏伝図石造レリーフ(全長50m)、大涅槃石像(全長8m)などの大石造美術が安置されています。
「壷阪寺」は、昔から目の不自由な人々にとっての聖地として厚い信仰と、深い願いがこめられ、全国各地から訪れる人が絶えません。そして、この地に住みたいという老人たちの願いに応えるのが真の老人福祉であるという、故常盤勝憲長老の情熱と信念、多くの人々の善意が結実して、昭和36年我が国で最初の「養護盲老人ホーム慈母園」が誕生しました。さらに、故常盤長老の「思いやりの心を 広く深く」の呼びかけの下に、昭和45年より法人名を”壺阪寺聚徳会”と改名し、さまざまな福祉事業を行っています。」




「大講堂」を過ぎると参拝順路と書かれた案内があったので、それに沿って進みます。

壺阪寺① 順路





最初にあったのは朱色が薄くなった「仁王門」です。本瓦葺き入母屋造りの八脚門だと思います。
山号は壺阪山、正式名は壺阪山南法華寺なんですが、「西國六番観音霊場 壷阪寺」と刻まれた寺号碑が門前にあります。

壺阪寺① 仁王門

壺阪寺① 寺号碑





木像の仁王像なので、色褪せや虫食い、腕が消失したりしてますが、立派に立っています。
門には巨大な「仁王さんの下駄」が置かれていました。

壺阪寺① 仁王像

壺阪寺① 仁王の下駄





「仁王門」は建歴二年(西暦1212年)の建立のようです。

壺阪寺① 仁王門説明

「貞慶解脱上人が建立に係ったと伝わっている。室町期と安土桃山期に大修理を加え、昭和には解体修理を行ったが、平成十年の台風により屋根が半壊したので、開創千三百年を期して、防災上の見地から建立場所を当地に移し、再度解体修理を行った。仁王尊は各、一丈一尺の大きさであり、背後からの釣金の助けなく立たれている。」




「仁王門」の右隣には「瀧蔵宮」がありました。
壺坂山の地主神で瀧蔵権現が祀られています。

壺阪寺① 瀧蔵宮





境内参道の石段を上がると「多宝塔」が見えてきました。
「多宝塔」と、更に石段上に「三重塔」がうかがえます。

壺阪寺① 境内参道

壺阪寺① 多宝塔と三重塔





参道の右側に銅板葺き宝形屋根の「手水舎」がありました。水盤には壷坂山の銘が刻まれています。
手水舎の前には「蓮石曼荼羅」とあるように、石製の蓮が模られていました。

壺阪寺① 手水舎

壺阪寺① 蓮石曼荼羅





手水舎の右手には大小様々な「大仏」様が祀られています。

壺阪寺① 大仏群

壺阪寺① 大仏





最も大きな大仏様は「天竺渡来 大釈迦如来石像」と書かれた看板に、身の丈10m、台座5mの大きさと書かれていました。

壺阪寺① 大仏説明

「これら大石佛群は、インドから招来された。
 インドでの奉仕活動のご縁から始まった国際交流・石彫事業の一環で、製作された。
 二十一世紀初頭より、世界中で起こった暴力や中傷などによって傷んだ心を癒すため建立された。
 また、先に、招来した大観音石像、大涅槃石像も拝し、心を大きくして、周りの人へと自然に思いやりの心を広く、深くして頂きたい。
 文殊菩薩は釈迦如来の「智慧」を、普賢菩薩は「行」観音菩薩は「慈悲」を表している。」




仁王門と同じく朱色が色褪せた「多宝塔」です。偶然でしたが、特別拝観と言うことで、入口から内部の御本尊が見られる日でした。御本尊は大日如来で、入口前でお参りをさせていただきましたが、写真NGなので内部の写真はありません。

壺阪寺① 多宝塔

壺阪寺① 多宝塔説明

「多宝塔の外見は二重塔であるが、本来は一重の宝塔のまわりに裳階がついた形であって、発生的には二重塔ではない。宝塔とは、円形の塔身に宝形造の屋根をのせたものをいい、多宝塔の上重の腰が円形で、上に丸みがついているのはその名残りである。
 多宝塔は九世紀に天台・真言の密教が興ってから密教寺院で建てられた塔である。
 この度、開創千三百年を迎えることから、この宝塔の建立を発願し、多くの信徒の勧進により建立された。」




「多宝塔」前を西に行くと「灌頂堂」がありました。御本尊は十一面千手観音菩薩で室町時代の造立のようです。

壺阪寺① 潅頂堂

壺阪寺① 潅頂堂説明

「壷阪寺は子島(小島)または壺坂流と称される真言宗の一柳派の道場であった。その教えを伝えるための灌頂堂は平安時代に建立されていたと推察される。その後、二度の大火に遭いながら、その度ごとに再建されていたと伝えられている。
 十五世紀にまた大火の難に遭うが、その後再建の記録は見受けることはできない。
 平成十五年に迎えた壷阪寺開創千三百年を期に当山の重要な御堂の一つであった灌頂堂再建を発願した。御堂再建に際し、慶長年間、当山伽藍再興に尽力された高取城主本多因幡守が寄進した因幡堂(いなばどう)の部材の大部分を用い、老朽化した部材を新調すると共に、旧因幡堂の幅と奥行を拡げ、現在の正面五間、奥行四間の御堂として再建した。また、御堂には本多公の尊像を安置し大和大納言豊臣秀長の家臣であり、戦国の戦乱で疲弊した壷阪寺再興に尽力した本多一族の遺徳を顕彰している。」




「潅頂堂」内部です。奥の須弥壇に御本尊が祀られています。

壺阪寺① 潅頂堂内部





「潅頂堂」の更に奥には「夫婦観音」天竺渡来十一面観音石像が祀られています。身の丈5mでこちらも大仏と言ってもいい感じの大きさです。

壺阪寺① 夫婦観音

壺阪寺① 夫婦観音説明

「壺阪観音は眼の観音として篤く信仰され、その霊験は壺坂霊験記として現代に伝わっている。
 江戸時代寛文年間、この山の麓、土佐町(現高取町)に住んでいた盲目澤市とその妻お里の夫婦愛のお話でお里の壺阪観音への祈り、澤市への思いやりと澤市の感謝の心、それによる壺阪観音の霊験による澤市開眼の歓びは長く伝聞され、浄瑠璃、歌舞伎でも演じられている。
 平成二十三年は澤市開眼から三百五十周年にあたり、また、そのご縁で開設された養護盲老人ホーム慈母園も五十周年になる。
 この二つの慶事が重なるこの時に、お里・澤市の思いやりの心を後世に伝えるとともに、視覚に障がいを持つ方々への福祉がより一層増進されることを祈念して、天竺(インド)より観音石像をご招来、建立した。観音さまが持つ十一のお顔は、人のことを思いやりながら怒ったり、悲しんだり、喜んだりすることを表している。」




今回はここまでです。次回は本堂である「禮堂」と「三重塔」になります。
写真は今回のメインであります「多宝塔」と大仏が見える場所からです。

壺阪寺① 境内



御朱印は特別拝観の記念印で大日如来です。
壺阪寺①(特別限定)



場所:南法華寺(壺阪寺)


にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ 
よければポチッとお願いしま~す(^^)/


[PR]

この記事と関連する記事

[奈良県] 西国三十三所観音霊場の南法華寺(壺阪寺)① 仁王門~多宝塔

奈良県

スレッドテーマ : 神社・仏閣巡り ジャンル : 旅行

(0)TB(0)

AFTER「[奈良県] 西国三十三所観音霊場の南法華寺(壺阪寺)② 三重塔~禮堂

BEFORE「[岐阜県] 中山道中津川宿と西宮神社

COMMENT

MESSAGE

非公開コメント

Top