2022
08/03
水
今回は自宅から
250kmの場所、兵庫県加東市にあります

『播州清水寺』(ばんしゅうきよみずでら)に行ってきました(^^)/

「仁王門」の手前には「西国第二十五番霊場 御嶽山 清水寺」と刻まれた寺号標がありました。当寺の正式名は御嶽山清水寺ですが、同じ西国三十三所第十六番霊場である「清水の舞台」で有名な京都市の音羽山清水寺と区別するためなのか、こちらは「播州清水寺」を通称とされています。
本瓦葺き入母屋造りの楼門となります「仁王門」は昭和55年再建とまだ新しいようです。金剛力士像は大正10年、岡倉天心に従事した奈良の仏師「菅原大三郎」氏の遺作です。
「この楼門は以前には旧参道の頂上にあったが、昭和四十年台風にて全壊。昭和五十五年末、場所をかえてこの地に新築再建。神戸大学多淵敏樹教授の設計。金剛力士像は大正十年奈良の仏師菅原大三郎氏の遺作。昭和五十三年大三郎氏の子息、東京芸大名誉教授菅原安男先生修復。丹塗りは平成三年末に完成。」
大きな境内マップがありました。これがあると後からまとめるのも楽になっていいです。
仁王門をくぐると、先に見える「清水茶屋」まで登って行きます。途中に「清水寺の縁起」がありました。
「あわれみや あまねき門の品々に なにをかなみのここに清水
推古天皇両帝勅願所 清水寺 本尊 千手観音(大講堂)十一面観音泰安(根本中堂)
御開山法道仙人は印度の僧で今より1800年前、人皇十二代景行天皇の御時に中国、朝鮮を経て当山に止住され、鎮護国家豊作を祈願された。
推古三十五年(627年)推古天皇勅願により、根本中堂建立、仙人一刀三礼の秘仏十一面観音、脇士毘沙門天王、吉祥天女の聖像を安置された。
由来この地は水に乏しく、仙人、水神に祈って霊泉湧出し感謝の余り清水寺(きよみずでら)と名付けられた。
神亀二年(725年)聖武天皇は、行基菩薩に勅願して大講堂を建立、永く講経の道場として法灯を輝かされた。花山法皇西国御巡拝のとき、この堂に詣で給いて、御詠あらせられてより、西国第二十五番の札所と称するに至る。」
と、最初に書かれているのは御詠歌です。播州清水寺の御本尊は根本中堂に安置されているようなので、御本尊の御朱印は最後に紹介する「根本中堂」とします。
縁起の横には観音さまの説明もありましたが、薄くて読めませんでした…ので割愛します。
茶屋を過ぎると、参拝順路の指している下に降りていきます。
降る場所には「西国二十五番清水寺」と刻まれた、古そうな石碑がありました。
西国三十三所の霊場に伺うと良く見かける境内全景図ですが、33ヵ所合同で作ったのか、ずいぶん前に作られたようで、かなり色あせているし、字も小さいので改修してほしいですねぇ~
ここは先程大きな素晴らしい境内マップがあったのでいいですが(^^;)
境内の建物が見えてきましたが、境内手前にも
駐車場があったんですね~

境内入口に到着です。正面に手水舎が見えます、左の建物が「薬師堂」になります。
手水舎の水盤には「洗心甘露水」と書かれていますが、心を洗う美味しい水って意味なんでしょうか?(^^;)
銅板葺き宝形造りの薬師堂です。露盤宝珠も銅製のようで緑青が出ています。薬師堂の本尊は薬師如来で創建は平安時代末期のようです。
「現代の建物は昭和五十九年、檜材にて再建。
創建は清盛の義母「池の禅尼」。
平成十三年、東京芸大・藪内佐斗司教授作「十二神将」を安置。」
入口の上には金文字で「薬師堂」と書かれた扁額がうかがえます。内部中央の須弥壇に祀られているのが本尊の薬師如来、欄間の上に飾られているのが十二神将だと思います。
薬師堂の正面上にありますのが「大講堂」になります。正面には「清水寺」の文字が書かれた扁額が掛かっています。
今回はここまでです。「大講堂」からは次回に紹介いたします。<(_ _)>
御朱印は西国三十三所の御詠歌です。
場所:播州清水寺





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