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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2022 06/29

[東京都] 都内最古の寺 浅草寺 雷門~本堂


成田山新勝寺のお参り後は少し時間があったので、
東京都台東区にある『浅草寺』(せんそうじ)に寄ってきました~(^^)/
東京の神社仏閣へ行きましたのは、実に2年ぶりとなります。

まずは、東京では一番有名なんじゃないかと思っている「雷門」です。訪れたのは4月の初めで、コロナ明けでしたが、すでに大勢の観光客で賑わっていました。。。

浅草寺(本堂) 雷門①





門横にありました寺号碑です。
「金龍山浅草寺」と刻まれた文字は山号+寺号で正式名になります。

浅草寺(本堂) 寺号碑





寺号碑の横にあった縁起(由来)には、

浅草寺(本堂) 由緒

「時は飛鳥時代、推古天皇三十六年(628)三月十八日の早朝、檜前浜成・竹成の兄弟は江戸浦(隅田川)に漁撈中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得した。郷司土師中知(名前に諸説あり)はこれを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依し、その後出家し、自宅を改めて寺となし、礼拝供養に生涯を捧げた。
 大化元年(645)、勝海上人がこの地においでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊をご秘仏と定められ、以来今日までこの伝法の掟は厳守されている。
 広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかった浅草は参拝の信徒が増すにつれ発展し、平安初期には、慈覚大師円仁さま(794~864、浅草寺中興開山・比叡山天台座主三世)が来山され、お前立のご本尊を謹刻された。
 鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、次第に外護者として歴史上有名な武将らの信仰をも集め、伽藍の荘厳はいよいよ増した。江戸時代の初め、徳川家康公によって幕府の祈願所と定められてからは、堂塔の威容さらに整い、いわゆる江戸文化の中心として、大きく繁栄したのである。かくして都内最古の寺院である浅草寺は、浅草観音の名称で全国的にあらゆる階層の人たちに親しまれ、年間約三千万人もの参詣者がおとずれる、民衆信仰の中心地となっている。」

と、書かれていました。浅草寺は聖観音宗総本山で、浅草観音の別称があります。御本尊の聖観世音菩薩は秘仏であり、現在年に一度の御開帳は、秘仏の代わりに作られた「御前立ご本尊」となります。秘仏はとにかく秘仏のようです。




本瓦葺き切妻造りの「雷門」(風雷神門)です。昭和35年に鉄筋コンクリート造で再建されているようで、かのPanasonic創業者である松下幸之助寄進で建てられたようです。

浅草寺(本堂) 雷門②

浅草寺(本堂) 雷門説明

「天慶五年(942)、平公雅によって創建されたのが始まり。
 門の正面向かって右に「風神」、左に「雷神」を祀る。このことから「雷門(風雷神門)」と呼ばれる。ともに鬼面蓬髪、風袋を担いで天空を駆ける風神と、虎の皮の褌を締め連鼓を打つ雷神の姿は、お馴染みのものである。また、門の裏側には、向かって右に「金龍」、左に「天龍」の龍神像が祀られ、これら四神は、浅草寺の護法善神として、伽藍守護・天下泰平・五穀豊穣の守り神とされる。
 現在の門は、慶応元年(1865)の浅草田原町の大火で炎上した門に替わり、昭和三十五年に松下幸之助氏のご寄進により修興された。
 浅草寺参詣の入口にあたる「総門」として、また、東京・浅草の顔として全国的に有名。」




山号の「金龍山」の金文字で書かれた扁額の下には、一度はニュースで見たことがあるだろう「雷門」の文字が入った大提灯です。大提灯の下には、これまた見事な龍の彫刻がありました。

浅草寺(本堂) 雷門大提灯

浅草寺(本堂) 大提灯下彫刻





「雷門」をくぐると、仲見世通りはもう人で溢れかえっていました。。。

浅草寺(本堂) 仲見世通り





「宝蔵門」に到着です。ここを過ぎると境内に入ります。

浅草寺(本堂) 宝蔵門①





「宝蔵門」前の左手に「大行院」と「三宝荒神堂」がありました。
「大行院」は浅草寺境内にありますが、浅草寺とは別の寺院で天台宗の寺院です。浅草不動尊と呼ばれ、不動明王を御本尊としてお祀りしています。「三宝荒神堂」は「大行院」の堂宇の一つのようなのですが、真偽は不明です。荒神は「仏・法・僧」の三つの宝を守る神様なので「三宝荒神」というようです。

浅草寺(本堂) 大行院

浅草寺(本堂) 三宝荒神堂





本瓦葺き入母屋造り楼門で、昭和39年に再建された鉄筋コンクリート造です。

浅草寺(本堂) 宝蔵門②

浅草寺(本堂) 宝蔵門③

浅草寺(本堂) 宝蔵門説明

「宝蔵門は、大谷米太郎の寄進で、昭和三十九年に浅草寺宝物の収蔵庫を兼ねた山門として建てられた。鉄筋コンクリート造で重層の楼門である。外観は旧山門と同様に、江戸時代初期の様式を基準に設計されている。高さ二十一・七メートル、間口二十一・一メートル、奥行は八・二メートルある。下層の正面左右には、錦戸新観、村岡久作の制作による、木造仁王像を安置している。
 浅草寺山門の創建は、「浅草寺縁起」によると、天慶五年(942)、平公雅によると伝える。仁王像を安置していることから仁王門とも呼ばれる。その後、焼失と再建をくり返し、慶安二年(1649)に再建された山門は、入母屋造、本瓦葺の楼門で、昭和二十年の空襲で焼失するまでその威容を誇っていた。」




入口の「雷門」は雷門と書かれた大提灯でしたが、こちらは「小舟町」の文字が入った大提灯がぶら下がっています。
写真を整理していて気付いたんですが、「雷門」の仁王像を撮り忘れてたんだなぁ…と今気付きまして、この宝蔵門の仁王像の写真しかないことをお詫びします<(_ _)>

浅草寺(本堂) 宝蔵門大提灯

浅草寺(本堂) 宝蔵門仁王像





「宝蔵門」をくぐったすぐ左には「五重塔」がありますが、「五重塔」は次回紹介します(^^)/

浅草寺(本堂) 五重塔





参道の正面が「本堂」です。参道脇には、お札・お守・みくじの販売所が並びます。

浅草寺(本堂) 本堂①

浅草寺(本堂) みくじ売り場





「本堂」の手前右手にあったのは、銅板葺き宝形造りのとても立派な「手水舎」です。中央の水盤には高村光雲作の「沙竭羅龍王像」が飾られ、素晴らしい天井の龍図もあります。

浅草寺(本堂) 手水舎

浅草寺(本堂) 水盤像





本瓦葺き入母屋造り向拝付きの「本堂」は、別名で「観音堂」と呼ばれています。先の説明にもありましたが、御本尊は聖観世音菩薩になります。
向拝には「志ん橋」と書かれた大提灯が掛けられています。

浅草寺(本堂) 本堂②

浅草寺(本堂) 本堂向拝





向拝中央の外陣入口上には金文字で「観音堂」と書かれた扁額があります。大提灯の下も彫刻が施されているのが窺えます。

浅草寺(本堂) 本堂提灯

浅草寺(本堂) 本堂説明

「昭和三十三年、全国ご信徒のお力添により再建。
 お堂は南に面し、正面に懸かる「志ん橋」と書かれた大提灯は、東京新橋組合から奉納されたもの。外陣には、天井中央に川端龍子画の「龍の図」が、左右には堂本印象画の「天人の図」が掲げられ、正面には深見玄岱筆「施無畏」額が懸かる。内陣には、中央の御宮殿内に、ご秘仏ご本尊聖観世音菩薩さま、慈覚大師円仁作のご秘仏お前立ちご本尊聖観世音菩薩さまが奉安されている。また、御宮殿の正面左に梵天・右に帝釈天の二天が、内陣左奥に愛染明王、右奥に不動明王が祀られる。」




「本堂」の外陣でお参りをします。中央上には「施無畏」(せむい)と書かれた額がありますが、「施無畏」とは、「畏れないで、施しなさい。」という意味で、観世音菩薩を意味することもあります。
中央の金色に輝く「御宮殿」内に秘仏である御本尊が安置されています。

浅草寺(本堂) 本堂外陣





外陣天井には中央に「龍之図」と、その左右に「天人之図」が天井絵として描かれていました。

浅草寺(本堂) 本堂外陣天井



今回はここまでです。次回は本堂周りの各堂をご紹介いたします(^^)/


御本尊の御朱印(板東三十三観音)
浅草寺(本堂)


場所:浅草寺


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