2022
06/14
火
前回の「釈迦堂」に続いては、
『成田山新勝寺』(なりたさんしんしょうじ)の「額堂」になります(^^)/
「釈迦堂」の境内からは北側の石段を上った所に堂宇がたくさんありました。
右側が「開山堂」、次に一番奥の方に見えるのが「平和大塔」、その次が「光明堂」で中心の一番大きく写っているのが「額堂」で、最後が「朝日観音堂」です。
「額堂」はその名の通り「額」や「絵馬」を掲げる建築物ですが、ここにある「額堂」は国指定の重要文化財となっています。
「額堂とは、奉納額や絵馬を掲げる建築物であり、このお堂は文久元年(1861)に当山で2番目の額堂として建立されました。
建物は、桁行正面が3間(約5.5メートル)背面が6間(約11メートル)で、屋根は入母屋桟瓦葺です。現在は四方が開放されていますが当初は背面が板壁でした。組物は平三斗、中備蟇股、二軒の半繁垂木です。額堂としては虹梁や木鼻など細部まで本格的な建物で、近世における庶民信仰をあらわす代表建築の一つであります。建物の各部に見られる竜や獅子などの彫刻は後藤勇次郎経慶の作です。
なお当山には、江戸歌舞伎界の名優成田屋こと七代目市川団十郎丈により寄進された額堂(第1額堂)が三重塔脇にありましたが、昭和40年に焼失しました。中央部にある石像はその七代目団十郎像であります。
これらの額堂には絵馬類がたくさん掲げられていましたが、貴重な文化財として、現在は成田山霊光館に保存されています。」
右端にある「成田屋七代目 市川團十郎像」は重量感のある石造です。額や絵馬だけじゃなく、地球儀の銅像のようなものまでありました。
続いてはちょっと戻りますが、石段上がったすぐの場所にありました、「天満宮」です。
「天満宮」はもちろん学生の頼みの綱であります「合格祈願・学業成就」の御神徳があります。
社は小さい「天満宮」ですが、子供の海外留学の成功をお願いしてきました<(_ _)>
「明治二十年(1887)再建
菅原道真公をお祀りする御堂
文道の太祖、風月の本主と慕われ学問の神、至誠の神として崇敬される
令和二年(2020)移築修復
毎年一月二十四・二十五両日に初天神祭礼を奉修し御開帳する」 と、ありました。
続いては「朝日観音堂」です。小さいお堂ですが、白壁に瓦葺きの洋風な雰囲気を持ち、宝形造りで頂部に露盤宝珠があります。
入口上には「朝日観音」と書かれた金色の変形扁額がありました。
「日の出に真先に照らされることから朝日観音堂と云われている
稲穂講寄進により慶応三年(1867)建立」 本尊は聖観音菩薩と十一面観音菩薩のようです。
続いてはこの敷地の右手にあります「開山堂」です。
本瓦葺きで「朝日観音堂」と同じく宝形造りで銅製の露盤宝珠もあります。
向拝から先へは入れません。入口の扉には黄金に輝く菊紋のようなマークが付いていますが、何の紋様かはわかりませんでした。
「當山の開山上人寛朝大僧正の御姿を安置する堂である。
この堂は昭和十三年に奉修された成田山開基一千年祭記念事業の一つとして新築されたものである。」
銅板葺きの「三社」は「額堂」と「光明堂」の間にあります。
「左から白山明神・金毘羅大権現・今宮神社の三社を祀る。」
今回の最後は桟瓦葺き入母屋造りの「光明堂」です。国指定の重要文化財となります。
「元禄14年(1701)に建立された旧本堂で、寛保2年(1742)と明和5年(1768)の改修を経て、安政年間新本堂(現釈迦堂)の建立にあたり、本堂の後方に移築、さらに昭和39年大本堂建立のとき現在地へ移されました。 本尊には真言密教の教主である大日如来が安置されています。
建物は桁行5間(約9メートル)梁間5間で、屋根は入母屋造桟瓦葺です。組物は三手先を詰組とし、軒は二軒の繁垂木としています。安政年間の移築の際に回り縁と外陣部の床を撤去して吹放しの土間とし、珍らしい形になっています。また彫刻装飾(島村円徹の作)には、創建当初の構造がよく残され、江戸時代中期における密教寺院の遺構の一つとして貴重な建物です。また「明王堂」の掲額は東大寺の別当道恕上人の筆、柱の聯(現在成田山霊光館保存)は三井親和の筆になります。」
現在の大本堂の前が釈迦堂が本堂で、その前に本堂だったと説明に書かれている通り、組物や装飾の彫刻など細かい所に職人の技術が光っています。
向拝でも入口上の欄間彫刻や頭貫木鼻彫刻など多くの細工が施されています。
堂内の朱印所にて御朱印を書いてもらい、向拝にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
光明堂のご本尊、大日如来の御朱印
場所:成田山新勝寺(光明堂)





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