2022
05/30
月
前回よりの続きです。
『成田山新勝寺』(なりたさんしんしょうじ)の「大本堂」からとなります(^^)/
銅板葺きの緑青が美しさを際立たせ、二重屋根が更に豪華さを醸し出しています。
まずは、「大本堂」の周りにあります堂宇から見ていきます。
境内の左手には、総門をくぐった左手にもありましたが、「御護摩受付所」です。「納札所」や「御守・御札受場」なども併設されています。
境内の右手には、煌びやかな装飾が施された「三重塔」「一切経堂」「鐘楼」があります。

「元禄十四年(1701)に当山中興第一世照範上人によって建立された。楼上の梵鐘は大本堂建立を記念して鋳造したものである。香取正彦氏の設計鋳作になり、重量1068キロ。」
銅板葺き入母屋造りで唐破風向拝付きの「一切経堂」です。
全体を朱色に塗られ、花頭窓や蟇股の彫刻も素晴らしいのですが、その辺は調べればいっぱい出てきますので割愛します(^^;)
入口部分の扁額は「堂」ではなく、「一切経蔵」と「蔵」の字が書かれています。「蔵」なのか「堂」なのか…輪蔵があるので、ボク的には「蔵」なのかなぁと思うのですが、説明板では「堂」となっているので、新勝寺では「堂」なんでしょうねぇ~
中は立入禁止となっていますので、入口から広角で
撮っています(^^)/

輪蔵の装飾も見事ながら、輪蔵の下で支える鬼神の彫刻や、優美な絵天井までかなり豪華な造りとなっています。
「一切経堂は、享保七年(1722)当山中興第一世照範上人によって建立された。
中央の転輪経蔵に収まる一切経約二千冊は、仏典の集大成である。
彩色あざやかな輪蔵周囲の桟唐戸には、四天王と十二神将の彫刻が施され、この輪蔵を八体の鬼神が支えている。
入口上部の扁額は白河楽翁の筆。経堂周囲の八つの火頭窓は、中国の故事説話を題材とした見事な木彫刻で飾られている。
堂内には、中国南北朝時代に輪蔵を創案された傅大士と普建、普成が祀られている。」
続いてこちらも色鮮やかな装飾の「三重塔」です。国指定の重要文化財となっています。
「正徳2年(1712)に建立され、宝暦7年(1757)、享和元年(1801)、安政5年(1858)に大修理が行なわれています。又昭和58年現在の姿に復元されました。
塔の初層内陣には金剛界大日如来の「五つの智慧」をあらわす五智如来(大日如来・阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来の金剛界五仏)が安置されています。
塔の高さは相輪頂上まで約25メートルで初重の柱、長押、台輪等に地紋彫りを、各重の尾垂木の先端部は竜の丸彫で飾り、脇間板壁には十六羅漢の彫刻をめぐらしています。また板軒には雲文を浮彫りにして極彩色を施すなど、江戸時代中期の極めて華麗な塔であります。」
昭和56年から58年にわたり漆塗・彩色工事を主体とした保存修理工事を行いましたが、この工事は享和3年(1803)の古文書に書き留められていた漆塗・彩色の仕様をもとに復元されました。」
境内の南東から
撮りました「三重塔」と「大本堂」です。

今回最後は「大本堂」となります。「大本堂」前の境内参道の真ん中に常香炉がありましたので、たいたお香の煙を体にかけ、お参りに進みます。
「大本堂」の正面全景です。前回の最後にお伝えしましたが、銅板葺き入母屋造りの二重屋根で、鉄筋コンクリート造と現代の建物になります。御本尊は不動明王になります。
西側に「西翼殿」が回廊付きであり、東も同様になります。
広い向拝付きで、入口の扉は金色と豪華な造りです。
内陣との間はガラス張りとなっていて、ガラスの手前(外陣)に賽銭箱がありますので、そこでお参りをさせていただきました<(_ _)>
お参り後、外陣にあります納経所にて御朱印をいただいて参りました。
「大本堂」周りに縁側が付いているので一周します。北側は立派な庭園でした。
今回はここで終了ですが、「大本堂」西側に「釈迦堂」がうかがえます。
こちらは、境内の南西にある「出世稲荷」に行った後なので、次々回に報告します(^^)/
大本堂の御本尊不動明王の御朱印です。
場所:成田山新勝寺(大本堂)





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