2022
05/25
水
今回"大人の事情"では初めての千葉県となりました。
タイトルにもありますが『成田山新勝寺』(なりたさんしんしょうじ)に行ってきました(^^)/
息子の見送りで、前日に成田駅近くの
ホテルに泊まりましたので、そこから
歩いて向かいます。


ちょっと歩くと「成田山表参道」に出ます。この参道、なんと1㎞くらいあるんです!
その1㎞の間にお土産屋さんや食べ物屋さんなど色々なお店があり、朝からかなりの賑わいでした。
ようやく豪華な「総門」が見えてきました。
総門前道路反対側の広場に大きな案内看板がありました。
この境内図があるだけで各お堂のお参りが捗ります(^^)/
この看板によりますと、寺号として「成田山金剛王院新勝寺」と書かれ、真言宗智山派の大本山になるようです。宗祖は弘法大師、開山は寛朝大僧正、御本尊は大日大聖不動明王となります。
成田山の入口になります「総門」は、開基1070年の記念事業により、2008年(平成19年)に建立されました。総門横の寺号碑には「成田山金剛王院新勝寺」と刻まれていますが、正式名は「成田山明王院神護新勝寺」だそうです。
成田山の扁額に、金細工を施した木組がかなり豪華です。写真では入口梁上の蟇股に、十二支の一つの木彫刻が施されているようです。
総門をくぐった場所から見た参道です。正面に見えるのは「仁王門」になります。
総門前から左を見ますと、正面に大きな「御護摩受付所」がありました。御護摩受付所の左側には「弁財天堂」があります。
「弁財天を祀る勧請年代は不明だが、内外丹塗宝形造りの現在の堂は元禄年間に建立された、成田山境内では最古の建築物である。」と書かれていました。
本坊の前には医薬門の中門を構え、寺号碑もあります。奥には「光輪閣」の名前が付いた本坊(寺務所)及び客殿を備える地上4階・地下2階の建物がありました。
「光輪閣」の左手にあったのは、桟瓦葺き入母屋造りの「大師堂」です。
「明治二十一年(1888)再建
堂内には弘法大師をはじめ、理源大師、興教大師、当山代々の先師、法類、戦没殉難者各霊、日月牌有縁精霊の位牌が安置され、朝夕供養が行われる。」
先程の参道に戻り、石段下から見た「仁王門」です。銅板葺き入母屋造りの八脚門で、国の重要文化財となっています。
「仁王門」の右側スペースにあったのは、右に「燈明台」と、左の「開運地蔵尊」です。
「燈明台」は明治27年の建立ですが、地震により火袋から上が倒壊したそうです。
仁王門の通路上には「浅草寺の雷門」にも負けず劣らずの大提灯がぶら下がっています。
左に「密迹金剛(みっしゃくこんごう)」の吽形、右に「那羅延金剛(ならえんこんごう)」の阿形が安置されています。
「文政13年(1830)に建立された八脚門で、正面向かって左側には密迹金剛、右側には那羅延金剛が安置され、境内の入口である山門にあって、諸堂伽藍を守っております。特にこの二尊は昔から「朱振りの仁王尊」といわれ信仰されています。また裏仏には、左側に人々に福徳をさずける多聞天を、右側には仏心を起こさせる廣目天を安置しております。
屋根は入母屋造銅板葺で、正面に大きな千鳥破風、背面に軒唐破風を付けています。組物は三手先の詰組とし、軒を二軒の扇垂木としているところなど、八脚門としては類例が少なく、材料工法とも極めて優秀で江戸時代末期の特色をいかんなく発揮した建物といえます。頭貫上の各柱間には、後藤亀之介作の竹林の七賢人や司馬温公瓶割り等の彫刻が施されています。なお正面に掲げられている「成田山」の大額は東大寺の別当道恕上人の筆になります。」
大提灯の底には、色鮮やかな龍の装飾が施されています。大提灯は東京築地の魚河岸が奉納しており重さは800㎏あるそうです(^^;)
仁王門の天井を見上げていますが、天井際の組物に説明板にあった「竹林の七賢人」等の彫刻が素晴らしいです。
「仁王門」を過ぎると参道石段の向こうに「大本堂」の屋根がうかがえます。
石段手前にあった太鼓橋左右には、多くの石碑や仏像などがありました。
石段を上がり境内に出て正面に見えるのは、銅板葺き入母屋造りで二重屋根の「大本堂」です。ここに御本尊である不動明王像が祀られています。形が美しいです。
長くなりましたので今回はここまでです。次回は続きからお伝えします。
何もないのも寂しいので御朱印はモザイクでお見せしま~す(^^)/
ちゃんとした御朱印は次回までお待ち下さい<(_ _)>
場所:成田山新勝寺(大本堂)





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