2022
04/20
水
今回は、お正月の初詣で行ってきました『猿投神社』(さなげじんじゃ)です(^^)/
ブログに上げるのに4ヶ月以上かかってしまいましたがご了承下さい<(_ _)>
まずは、総門前にありました金色(黄色)の鳥居です。「一の鳥居」かと思ったんですが、Wikipediaによりますと、どうやら「二の鳥居」となるようです。。。 調べましたら「一の鳥居」はここから2㎞くらい南にあるようです…(^^;)
二の鳥居をくぐると「籠川」が流れており、そこを渡る橋に「大橋」の銘が刻まれた石碑がありました。その昔はここに太鼓橋でもあったのかなぁ?
銅板葺き切妻造りの「総門」です。建立年代等は不明ですが、棟には千木と鰹木があり、神明造りのような形となっています。
総門の右手前には「猿投神社」の銘がある社号碑がありました。
左手の石版には猿投神社の鎮座地である「豊田市猿投町」の表記に、主祭神「大碓命」(おおうすのみこと)と相殿「景行天皇」「垂仁天皇」が刻まれており、創祀・沿革は、下記のように書かれていました。
「創祀は社殿によれば、第十四代仲哀天皇元年(192年)勅願により現在の地に祀るとある。猿投山東峯に東宮、西峯に西宮を祀り、猿投三社大明神と崇敬され、平安時代に制定された延喜の制では延喜式内社に定められた。
三河国国内神明帳に「正一位猿投大明神」と記載され「三河三宮」と称された。
神領は七七六石で、三河国の神社では最も多く、明治維新まで徳川幕府より附与された。」
猿投祭りと棒の手については、
「猿投祭りは、古来旧暦九月八日、九日の重陽の節句に行われたので「節句祭」と呼ばれ、三河、尾張、美濃三ヶ国一八六ヶ村は合宿をつくり、棒の手を奉納した。東照軍艦によれば「天文二三年(1554年)岩崎城主丹羽勘助氏次、猿投神社に奉納」とあり、現在も棒の手保存会により伝承され、秋の例祭に奉納されている。」 と、書かれていました。
棒の手はボクが以前お伺いした長久手市の「景行天王社」でも紹介されていました。
総門をくぐり、広い参道を歩きます。少し歩くと鉄柵で囲われた「常夜灯」がありました。手が触れないように保存されているのは貴重な資料なのかな?
参道途中には、名木指定されていました「スギ」がありました。
依代があるから御神木かな?
更に参道を歩くと「三の鳥居」の少し手前に「神馬」がありました。
参道の左側にあった建物名はわかりませんが、宝物庫(蔵)関連だと思われます。この左手奥に
駐車をさせていただきました。

手水舎です。ここも柄杓はなく、配管で手前に水を出していましたので身を清めます。
猿投神社は境内図が見当たらなかったので、名称が不明確なものがありますが、手水舎の正面当たりにあったのは「神輿殿」とWikipediaにありました。
茶色の「三の鳥居」です。正月らしく出店もありました。
「三の鳥居」を過ぎると右手に社務所と授与所が並んでありました。
授与所にて御朱印を書いていただきました。
社務所の前にあった説明板には創祀・沿革以外に宝物などの内容が書かれていました。宝物として国指定の文化財も多くあるようです。
お正月らしく、おみくじ結びにたくさんのおみくじが結ばれていました。
Wikipediaでは「拝殿」と書かれていますが、お参りする所がないので「神楽殿」だと思われます。
長くなりましたので、今回はここまでです。
次回は猿投神社の神楽殿より後半をお伝えします。乞うご期待下さい(^^)/
御朱印は虎の印が押された特別な朱印があり、通常のと併せて2枚いただきましたので、ノーマルな方を今回上げます。
場所:猿投神社





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