2022
03/26
土
今回は寺社の訪問としては昨年最後となりました、奈良県明日香村にあります
『岡寺(龍蓋寺)』(おかでら(りゅうがいじ))です(^^)/
まずは、境内西側の県道沿いにある
駐車場に
車を駐め、「飛鳥周遊歩道」の階段を上がっていきます。


この階段の右手にある「治田神社」(はるたじんじゃ)境内地にあったとされる「岡寺跡」について書かれた石版がありました。
「岡寺(龍蓋寺)は義淵僧正によって建立されたと伝えられる寺院であるが、創建当初の伽藍は仁王門の西方、ここ治田神社境内地にあったと考えられている。境内地には礎石がいくつか残っており、拝殿の地覆石には凝灰岩の切石が使われている。また、古瓦の散布もみられることから、このあたりに古代の建物があったことは間違いない。昭和57年には橿原考古学研究所によって発掘調査が行なわれており、基壇建物の北端を画したと思われる凝灰岩の切石が4.5mほど並び、その東端に階段があったらしいこともわかっている。その他の建物や伽藍配置については不明でそあるが、岡寺所蔵の寛文年間(1661~1672)の絵図には、治田神社付近に金堂や講堂・塔の跡地が描かれている。発掘調査で見つかった建物は、南向きに建つ7間×4間の金堂と推定される。」
治田神社を過ぎて左に曲がった所に、仁王門に続く参道がありました。
岡寺入口前に到着です。入口が綺麗に整備されていると参拝も気分がいいですね~

仁王門前にあります「入山受付」にて個人一般400円を納め入山します。
門前に岡寺の説明板がありました。
「東光山真珠院竜蓋寺は俗に岡寺と呼ばれる。天智天皇の御代、義淵僧正によって創建されたと伝え、西国観音霊場33ヶ所の第7番の礼所として広く信仰されている。
本尊如意輪観音像はわが国の塑像の中で最も大きく、また、体内佛といわれる金銅半跏像は白鳳の様式を示し、楼門・書院等と共に重要文化財に指定されている。旧寺跡は隣接するはるた治田神社境内と推定され、附近より美しい葡萄唐草紋軒平瓦など白鳳時代の瓦が出土している。」
と書かれています。この内容で山号は東光山、院号が真珠院、寺号が龍(竜)蓋寺とわかりますが、これは創建当初よりの正式名称となるようです。「岡寺」は地名に由来する寺号ではありますが、通常はほとんど「岡寺」の名称で通っており、宗教法人としての登録名でもあります。
西国三十三所、公式ホームページまで「岡寺」の名称で通しているようです(^^;)
門右手に「西國七番霊場 岡寺」の寺号碑と「日本最初厄除観音」の石碑があります。日本最初である根拠は不明ですが、公式ホームページでは鎌倉初期に書かれた歴史物語によるものとされています。
ボクが過去に訪問した場所で、三重県松阪市にも「日本最初の厄除観音」として「継松寺」(けいしょうじ)があったことを思い出しました(^^;) 継松寺は山号が「岡寺山」と言い、こちらにも岡寺の名前が付いているのは偶然なんですかね~(-_-)
国の重要文化財である「仁王門」です。説明がありませんが、慶長十七年(1612)建立です。
仁王門をくぐると"厄除け祈願"の赤いノボリが目立ちます。
この参道突き当たりから石段を上がっていきますが、手前の手水舎にて身を清めます。
下から見上げたときにありましたのは「白書院」(左側)です。右側はたぶん寺務所だと思います。
伽藍のある境内に到着です。最初にあったのは「寺務所」です。
その寺務所の横をまっすぐ進んだ突き当たりが、岡寺境内図によると「表書院」みたいです(^^;)
寺務所前を左に行って少し戻った場所に、大きな弘法大師像がある「大師堂」がありました。建物はまだ最近のもののようです。
大師堂から更に奥にある場所に「三重塔」がうかがえます。
「三重塔」は、公式ホームページでは「三重宝塔」と記されています。現在の三重塔は昭和61年に再建されたもので、古来三重宝塔は最初にあった治田神社境内にあったようです。文明四年(1472)の大風により倒壊し、現在の仁王門に解体転用されているようです。
今回はここまでです。
三重塔から見える眺望は明日香村市街地となるのかな?
今回は復刻御朱印
場所:岡寺(龍蓋寺)





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