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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2022 03/06

[滋賀県] 織田信長築城の幻の城 安土城跡1


近江八幡琵琶湖畔の「長命寺」に続いては、同じ近江八幡ですが湖からは少し内陸の安土山にあります『安土城跡』(あづちじょうあと)に行きました(^^)/

写真は駐車場東から安土城跡山道入口と安土山の西側が写っています。

安土城跡① 安土山





舗装された入山口です。入口右手に安土城跡の説明板がありました。

安土城跡① 入口

安土城跡① 安土城跡説明

「安土城の築城は、織田信長が武田勝頼を長篠の合戦で打ち破った翌年、天正4年(1576)に始まります。築城にあたっては、畿内・東海・北陸から多くの人夫が徴発され、当代最高の技術を持った職人たちが動員されました。まさに安土城は天下統一の拠点となるべく当時の文化の粋を集めたものだったのです。築城開始から三年後の天正7年には天主が完成して信長が移り住みました。しかし、その三年後天正10年に本能寺の変で信長が殺されると、城は明智光秀の手に渡り、その光秀が羽柴秀吉に敗れたすぐ後に天主・本丸は焼失してしまいます。それでも安土城は織田氏の天下を象徴する城として、秀吉の庇護の元で信長の息子信雄や孫の三法師が入城を果たし、信長の跡を継ぐものであることをアピールします。
しかし、天正12年小牧長久手の戦いで信雄が秀吉に屈すると織田氏の天下は終焉を迎え、翌年安土城はその役目を終えて廃城となるのです。その後江戸時代を通じて信長が城内に建てた摠見寺がその菩提を弔いながら、現在に至るまで城跡を守り続けていくことになります。
 安土城跡は大正15年(1926)に史蹟に、昭和27年(1952)に滋賀県蒲生郡安土町・東近江市(旧能登川町)にまたがる約96万㎡が特別史跡に指定されました。
 昭和15・16年(1940・41)に天主跡と本丸跡の発掘調査と整備が行われ、昭和35年~50年(1960~1975)にわたって主郭部の石垣修理が行われました。昭和57・58年には信長400回忌にあわせて城跡南面の平面整備が行われています。そして、平成元年度(1989)から安土城跡を将来にわたって永く保存し、広く活用することを目的として『特別史跡安土城跡調査整備事業』が20年計画で行われています。」




大手道に入る手前に安土城址拝観受付があります。拝観料は700円ですが、城内にあります「摠見寺」(そうけんじ)の特別拝観も含めて1200円を納めて入場します。

安土城跡① 入山入口





石張りで綺麗に整備された大手道です。ここから安土山を登っていきます。

安土城跡① 大手道①





写真1枚目が大手道東側にある「伝前田利家邸跡」と、2,3枚目が大手道西側にある「伝羽柴秀吉邸跡」になります。

安土城跡① 前田利家邸跡

安土城跡① 羽柴秀吉邸跡①

安土城跡① 羽柴秀吉邸跡②





続いて大手道沿いにあったのは、安土城築城の際、織田信長が自身の菩提寺とした「摠見寺」(そうけんじ)です。ここは、次回じっくりと紹介させていただきますので、入口と本堂の写真のみとなります(^^)/

安土城跡① 摠見寺入口

安土城跡① 摠見寺仮本堂





大手道の最初の曲がり角から下を見ています。左手に写る入口が「摠見寺」の入口です。

安土城跡① 大手道から摠見寺入口





山道の所々にある道標の石碑に沿って本丸・天主(通常は天守ですが、ここでは天主と表記)に向けて登っていきます。

安土城跡① 大手道②

安土城跡① 山道石碑①

安土城跡① 山道石碑②





石碑には「織田信澄邸址」「森蘭丸邸址」と刻まれています。

安土城跡① 邸跡





続いては「黒金門跡」(くろがねもんあと)です。

安土城跡① 黒金門跡

安土城跡① 黒金門跡説明

「ここは、安土城中枢部への主要な入り口の一つである黒金門の跡です。周囲の石垣をこれまで見てきた石塁や郭の石垣と比べると、使われている石の大きさに驚かれることでしょう。平成5年度の発掘調査では、黒金門付近も天主とともに火災にあっていることが分かりました。.多量の焼けた瓦の中には、菊紋・桐紋等の金箔瓦も含まれていました。壮大な往時の姿が偲ばれる黒金門より先は、信長が選ばれた側近たちと日常生活を送っていた、安上城のまさに中枢部となります。
 高く聳える天主を中心に本丸・二の丸・三の丸等の主要な郭で構成されるこのー帯は、標高が180mを越え、安土山では最も高いところにあります。東西180m、南北100mに及ぶその周囲は、高く頑丈な石垣で固められ、周囲からは屹立しています。高石垣の裾を幅2~6mの外周路がめぐり、山裾から通じる城内道と結ばれています。外周路の要所には、隅櫓・櫓門等で守られた入り口が数カ所設けられています。この黒金門は、城下町と結ばれた百々橋口道・七曲口道からの入り口なのです。
 安土城中枢部の建物は本能寺の変の直後に全て焼失したため、炎の凄まじさを残す石垣と礎石によって往時の偉観を偲ぶことができるだけです。しかし、400年以上にわたっで崩れることなく、ほぼ原型を保ってきた石垣の構築技術の高さに驚かされます。様々な表情を見せる安土城の石垣のすばらしさをご鑑賞下さい。
 平成7~12年度の発掘調査から、この一帯の建物群が多層的に結合されている可能性が出てきました。ここから天主に至る通路や天主から八角平への通路の上には覆い被さるように建物が建ち並び、当時の人々は地下通路を通って天主へ向かうような感を覚えたのではないでしょうか。」





「黒金門跡」を過ぎた通路の左手の石垣上には「二の丸」があります。

安土城跡① 黒金門跡の山道





正面石段を登って左に行くと「二の丸跡」、右に行くと「本丸跡」となります。

安土城跡① 二の丸-本丸階段





「二の丸址」の石碑が建つ「二の丸跡」です。

安土城跡① 二の丸跡





「二の丸跡」の奥には「織田信長公本廟」がありましたのでお参りしました<(_ _)>

安土城跡① 織田信長本廟①

安土城跡① 織田信長本廟②





織田信長が理想として用いた言葉「天下布武」の御城印と、安土城跡・摠見寺の御朱印帳です。この御朱印帳には購入者しかもらえない「安土城」と書かれた御城印もありますので、それは次々回紹介します。(^^)/
安土城(天下布武)

安土城摠見寺御朱印帳


場所:安土城跡


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