2022
02/24
木
前回の三重塔に続きまして、
『長命寺』(ちょうめいじ)の本堂を中心に報告します(^^)/
まずは、三重塔手前北側にありました「護摩堂」です。
檜皮葺き宝形造りで、朱色の躯体が手前の紅葉に合っています。(訪問は昨年の11月です)
「護摩堂」は国の重要文化財となっています。
「護摩堂は本尊不動明王、古来、天下太平宝祚延長長寿開運諸願成就を護摩祈祷する道場であり、慶長十一年(1606)に三重塔に続いて再建されたことが、露盤に銘打たれている。再建後間もなくの屋根葺替えで二重軒付に変更されたが、昭和四十九年(1974)の半解体修理で一重軒付きに復原された。
桁行三間、梁間三間(4.863m)の宝形造、檜皮葺、丹塗の建築で、内部は北面中央間の側柱前に角柱二本を立て、その中に仏壇を設けている。なお、寛政五年(1793)にこの仏壇上に檀(漆塗り)を重ねてその上に作り付けの厨子(塗装なし)を新造している。
三間四方の正面中央は棧唐戸、正面左右は連子窓で、側面中央は板扉または板戸、側面前方は連子窓で、他は板壁という簡素な造りである。また、柱は全て角柱で、絵様大斗肘木に軒先は疎垂木木舞打という軽やかな姿である。」
三重塔手前から見た本堂です。三重塔がある場所は石段上った所にあるので、若干見下ろす形で全景がうまく撮れました。
本堂の横にありました「閼伽井堂」(あかいどう)です。
「閼伽井堂」の由緒が名前の書かれた札の下にありました。
「千手観世音ヲ安置ス 往古天智天皇御臨幸ノ時 揚柳ノ感応ヲ得給ヒシ舊跡ニシテ 参詣人諸彦一心ニ唱名念佛セバ 水泡浮ミ出ス故ニ俗ニ念仏井堂トモ稱ス」
横幅が長いので、下から広角で撮った本堂です。下からなので屋根が見えませんが、入母屋造り檜皮葺きの「本堂」です。御本尊は前回御朱印で出ましたが、千手観音と十一面観音と聖観音の三尊一体となっているようです。
先程上ってきた石段の最上段から見た眺望です。下の建物は書院と庫裡で、その向こうに見えるのは琵琶湖です。
本堂前に寺号碑が何故あるのかわかりませんが、本堂南から見た三重塔のです。ちょっと位置を変えるだけで見え方もずいぶん変わります。
続いては本堂の全体を入れた三重塔とのコラボです。こちらは広角とノーマルの違いです。
「本堂」は国の重要文化財となっています。
「本堂は永正十三年(1516)の焼失後、大永二年(1522)から大永四年(1524)にかけて再建されたことが勧進書に記されており、寺内で現存する最古の建築である。昭和五年(1930)から昭和七年(1932)にかけて解体修理が行われた。
桁行七間、梁間六間(正面20.41m、側面20.50m)、一重、入母屋造、檜皮葺の大建築で、当初は、正面の全て、東面の正面から一間、西面の正面から三間を吹放しとし、扉や壁面を造っていなかった。外陣内部は柱が並び、荘厳である。奥の内陣には須弥壇が築かれ、真中に再建当初からの厨子(重要文化財である本堂の附)があり、千手観音立像を中心に左側に聖観音立像、右側に十一面観音立像(全て重要文化財)が安置されている。
本堂は、中世の和様仏堂の好典型としても貴重な遺構であり、無駄な装飾を用いない、格調の高い建築である。」
本堂内外陣も丹塗りで朱色となっていますが、さすがに柱は朱色が剥げてきてました。外陣西側一角を納経所とされており、お参り後、そこで御朱印を書いていただきました。
本堂の西側にある「三仏堂」前にありました「宝蔵」です。
奥にあるのが「本堂」で、手前にあるのは「護法権現社」で、本堂と護法権現社の間にあるのが「三仏堂」になります。三仏堂は次回紹介いたします。
最後に「本堂」妻側から見た全景で、今回はお終いです(^^)/
御朱印は御詠歌の御朱印です。
八千年や 柳に長き命寺 運ぶ歩みの かざしなるらん
場所:長命寺





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