2022
02/04
金
「姫路神社」に続いては、
その境内社となります『寸翁神社』(すんおうじんじゃ)です(^^)/

こちらも「姫路神社」の手水舎です。戻ってもう一度手を洗いました。
境内にありました「鶴」でしょうか? 稲藁のようなものを利用して簡易的に作られていましたが、この神社での由縁などは不明です。
こちらも前回お伝えしましたが、社務所北にあります「寸翁会館」の額がある建物です。
寸翁神社の入口に建つ石鳥居は明神鳥居となります。鳥居の扁額も石で作られていました。
鳥居くぐってすぐにあります「河合寸翁像」です。播磨国姫路藩の家老で、姫路藩の財政再建に貢献しました。台座正面の「無心帰大道」の文字は、「私心のない人は道を貫くことができる。」という意味らしいです。
姫路神社の由緒板の後半にありました「寸翁神社」の由緒です。
「姫路藩経国済民の先覚者、河合寸翁を祭祀する。
河合寸翁命は、播州一円の産業の開発、経済の振興に多大の貢献があり、現在の
大姫路市の産業発展の基礎を確立された。
又、仁寿山黌を起し、碩学頼山陽、大国隆正らの学者文人を招聘するなど、文学振興の祖とも賛仰する郷土の偉人である。昭和三十二年、商工産業界の奉賛により社殿の造営なる。」
「岩倉稲荷神社」は稲荷らしく朱色の千本鳥居があります。中間に石鳥居もありますので、創建時は1本だったのかな? 扁額は2本目の鳥居にありました。
先程の由緒の最後には「岩倉稲荷神社」の由緒も書かれていました。
「農工生産の神と仰ぐ倉稲魂大神を祭祀する稲荷社、古来より姫路市坊主町鎮護守として奉斎したが、大正十四年、御神縁あって当社境内に御遷座された。節分追儺式、湯立等の神事が奉仕される。」
社殿(拝殿)です。回りの木々に覆われてほとんど見えません(^^;)
御祭神は由緒にもありましたが、河合寸翁命となります。
拝殿前にあった灯籠は錆が出ているので、珍しく鉄製と思われます。姫路神社が明治の創建なので、その頃は鉄製でも流行ったのかなぁ??
狛犬も色々ありますので一概には言えませんが、遠吠えしてるように上を向いているのが珍しかったので
撮ってきました(^^)/

右が口を開けているので阿形です。左が吽形になります。
向拝に鈴緒がありますが、賽銭箱は拝殿の中にありますので中に進みます。
寸翁神社の額の下にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
御朱印です。
場所:寸翁神社





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