2022
01/30
日
男山八幡宮のお参り後は『姫路神社』(ひめじじんじゃ)に向かいました(^^)/
お堀の橋を城側に渡り、そのままお堀沿いに進むと城郭の北東角に「姫路神社」がありました。境内の横を通り過ぎた所に看板がありました。
境内周囲は玉垣で囲われており、入り口は格子の門が付いています。
入口の左手に「懸社 姫路神社」と刻まれた社号碑があります。
「姫路神社」は明治時代初期、旧姫路藩主・酒井家を始祖とし創祀され藩祖を祀った神社のひとつで、姫路城鎮護神社として鎮座されています。
明治二十年の表記がある石鳥居です。後で由緒に書かれていますが、明治十二年の創建なので、創建後に作られているようです。
境内右手(東側)にあります社務所です。
手前に見えている授与所にて御朱印を頂きました(^^)/
姫路神社の由緒板がありました。
「徳川内府大政を奉還し、王政復古の大号令が発せられ、明治維新を迎える。
明治四年、廃藩置県の改革成るに及んで、姫路藩十代、百二十年余、世々領主として善政に勤められた酒井家も爲に、東京移住を令せられたのであります。
茲に、永年恩恵に浴した領下四民は、欽慕の情止み難く、旧藩臣大年寄、大庄屋等発起し、相謀って、神東郡姫路本町五〇、五一、五二、番の合併地五百八十八坪余を取得し、明治十二年一月、官許を得て社殿を創建、酒井家遠祖新田義貞公の裔、烈祖正親公を奉祀し、報本反始の誠を致したのであります。
明治十七年三月、県社に加列せられ、春秋の祭儀も次第に多様盛大を極め、御霊社の呼称と共に、姫路市民の精神的支柱としてその尊崇を集めてまいりました。
然るに、この地は民家に隣接し、且つ狭隘なるを以て、大正十四年十一月、広く市民の奉賛を得て、縁故深い姫路城内官有地、一千九百七十四坪余を大蔵省より買受け、社殿を新築、昭和二年六月御遷座、爾来奉斎して今日に至るのであります。
偶、当地は、姫路城天守閣の東北隅の要地を占め、春は桜花爛漫秋は紅葉彩る神域にして、まさに姫路城鎮護神社に応しい立地を兼ねるというべきであります。
昭和三十六年十月、酒井藩歴代城主を配祀し、名実ともに姫路城鎮護神社として鎮座されるのであります。」
かなり昔の言い回しのため、理解しにくい文章となっていて読みにくかったです…
鬼瓦まである豪華な屋根付きの手水舎です。
珍しく柄杓が置かれていたので、適正に身を清めました。
「太閤秀吉愛用の手水鉢」がありました。本物だろうか…(-_-)
意外と広い境内です。奥の建物は拝殿で、左側の木々の中に境内社の寸翁神社があります。
「寸翁会館」と書かれた建物が東側にありました。
参拝所として昭和39年に建てられたようです。
銅板葺き入母屋造りで千鳥破風の向拝付きの拝殿です。御祭神は酒井正親命で、後に姫路藩酒井家歴代藩主が合祀されています。
向拝から拝殿にある賽銭箱の前でお詣りをさせていただきました<(_ _)>
向拝から見た境内です。この右手の方に姫路城があるんですが、ここからは見えません。境内の真ん中くらいまで行くと天守閣の上の方が見えますが…(^^;)
拝殿西側にも豪華な入口があります。
拝殿から幣殿、その奥に本殿なんですが、屋根の形状が複雑に絡み合い、その手前に唐破風の入口まであるのでよくわかりませんでした。
御朱印です。
場所:姫路神社





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