2022
01/25
火
前回の千姫天満宮より更に高い場所にある
『男山八幡宮』(おとこやまはちまんぐう)に続いて向かいます(^^)/
山道の分かれ道の所に「男山八幡宮」の説明書き看板がありました。
「男山(海抜五十六メートル)から眺姫路城の初日の出は、正に絶景である。当社は貞和元年(1345)国家の守護神、京都の男山石清水八幡宮より勧請された。
文明元年(1469)大改築の記録も残されているが、正徳六年(1716)三月十五日第丗三代榊原政邦は姫路城の守護神として新社殿を寄進建立した。
石鳥居に刻まれた銘文は、今も政邦の願いが偲ばれ、金箔壮厳な御神鏡、石灯籠、長柄の銚子、絵馬が奉納され極めて壮麗であったと言われている。
政邦は雄徳山(男山)八景を詠み、その内の一首、雄徳 青松
「仰げなお恵は高し男山 峯にさかゆく松のみどりば」
は有名で、代々城主の尊崇も厚く、特に能面掛け神事が明治初年まで長く斎行された。
姫路城の姫山に対し夫婦山である男山に鎮座され、歴代城主から庶民まで「男山厄神さん」と親しまれている。
現社殿は平成二年九月再建。」
と、書かれています。ここには書かれていませんが、社殿は昭和62年に放火で焼失したそうです。
山道(参道)途中にありました「戯れる戎大福」と刻まれた石碑です。鯉の上で戯れる恵比寿様と大黒様の像となっています。
石段を更に鋭角に左に曲がりました。まだ石段が続きます。(^^;)
先程の石段先を右に曲がると、社殿の手前まで来ました。
玉垣で囲われた境内の下に、姫路城主榊原政邦寄進の石鳥居があります。
「正徳六年(1716)のもの。政邦はこの十二年前、越後村上から姫路へ移ってきた。文学にもすぐれ、男山八景の和歌もよんでいる。
八幡宮の社殿を新しく作りかえ、そのときの鳥居がこれである。左の柱に武運の長久と家の繁栄を願う長い文を刻んでいる。」
最初に見た説明看板に書かれていました榊原政邦が社殿と一緒に寄進したものですが、社殿は放火で焼失しているので残っているのはこの石鳥居だけなので貴重な遺産です。
石鳥居の反対側にもありますが、「飛躍神馬一対」として阿型・飛龍号と吽型・雲龍号と書かれていました。
鳥居を過ぎた所から見た社殿(拝殿)です。
社号碑がない代わりに、玉垣に社名が刻まれています。
右手に質素な水盤がある手水がありましたので、蛇口をひねって身を清めます。
社殿の全景です。手前の拝殿は本瓦葺き切妻造りで、後ろの弊殿は屋根の向きを拝殿から直角に曲げて葺いています。弊殿の後ろは本殿です。御祭神は八幡神となります。
拝殿入り口に「男山八幡宮」と書かれた扁額があります。
奥の弊殿前の賽銭箱上にある彫刻額は何なのかわかりませんが、神宮神話をモチーフにしたもののようです。ここでお詣りをさせていただきました<(_ _)>
弊殿の奥にありました本殿です。銅板葺き一間社流造りになるのかな?
本殿の横に、先の千姫天満宮と同じような再建記念碑がありました。
お参り後は、男山八幡宮から更に上の場所にあります「男山配水池公園」に行きました。
普通にカメラで撮るとこんな感じです。一応、展望の様子が書かれたプレートがあったので載せておきますが、姫路城以外は絵と比べてもあまり分かりませんでした…(^^;)
「このたび、男山配水池の周辺を整備し、市民の皆様に広く親しまれる公園として開放することに致しました。
ここから眺望される城の景観は、姫路城十景の一つに選ばれています。国宝姫路城とその下に新しく整備された好古園などを御覧下さい。
この配水池は町裏水源地(市内八代字町裏)から送水された水道水を市街地へ配水している姫路市で最も古い配水池です。
昭和2年(1927年)7月着工し、昭和4年(1929年)4月に完成したもので、当時は主に手作業により延11,719人の人員と、総工事費は26,343円75銭をかけています。構造は、鉄筋コンクリート造りで、長さ22.72m幅22.42mのものが2室からなり、有効水深3.0mで3,000m3の水を貯えることができます。」
公園の
写真を撮り忘れましたが、花が咲く綺麗な公園で、散策されている人も結構いました。

公園の絶景ポイントから姫路城の眺望を楽しみました。
御朱印
場所:男山八幡宮





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