2022
01/15
土
姫路城からは西へ歩くこと15分くらいでしょうか?城下町の古い街並みが残る場所にありました『水尾神社』(みおじんじゃ)です(^^)/
男山を後ろに、山の麓に鎮座しております当神社には鳥居はなく門柱が建っておりました。右の「産土神徳」はわかるんですが、左の「萬生所頼」は意味不明です(^^;)
最初の
写真に写っていませんが、門柱の両横に灯籠がありました。灯籠には寛政十二年と刻まれており、西暦では1800年なので結構古いものでした。

境内に入って右手に手水舎がありましたので身を清めます。
日露戦争記念樹の石碑がありますが、手前にあるのは大砲の砲弾でしょうか???(^^;)
因みに記念樹はソメイヨシノだと思います。
境内社が四つ並んで祀られていました。
右から市杵嶋社・荒神社・大将軍社・武大神社と書かれていました。
石段上と一段高い位置にある本瓦葺き入母屋造りの社殿(拝殿)です。
社殿前にあった木は御神木かな?
看板には「むすびの木」と書かれており、クスノキの大木となります。
拝殿周りの玉垣手前に縁起が書かれていました。
「男山の麓に鎮座。境内から姫路城が眺まれ、城下町の家並が残る氏子約千三百戸の氏神社である。
記録によれば、当社はもと伊和大神を祀っていたが、二十九代欽明天皇即位二十六年(565年)六月十一日この神をを水尾山(古箕丘、今秩父山)に鎮祭し、延暦五年(786年)六月十一日将軍坂上田村麻呂は梛本の地に遷して祀った(現在の播磨国総社)。
しかし、山麓の民多く、男山の下に移り住み、神影を崇めて祠を建て奉祀した。
後に元和五年(1619年)三月本多美濃守忠政は姫路城築城の時、神守岡より岡大歳社を遷し社殿を造営する。
この神は姫山の四方の守護として、岡主社、角岡社、角社の一社である。国内神名帳所載の神社として崇敬され、池田、本多、榊原、酒井等の藩主は、祭時に能楽を奉納した。霊威著しい神として祭神を本社に併せ祀った。
明治の神仏分離の際、大年社歳徳大明神を水尾神社と改め現在に至る。明治年間社殿を改築する。
又、現在の社殿は平成二十に年(2010年)に再建し、併設の社務所(崇敬会館)は平成七年(1995年)に新築、境内整備をしたものである。」
縁起板には「左三つ巴」と、引両紋である「丸に二つ引」の家紋が書かれていました。
石段前にある玉垣の石柱には「龍鳴之宮 水尾神社」とあります。御朱印にも「鳴龍の宮」と書かれており、龍が鳴く謂われでもあるのかなぁと調べましたが、特にわかりませんでした…(-_-)
拝殿向拝を下から見ると、蛙股の部分は龍の彫刻で装飾されていました(^^)/
これも鳴き龍と関係があるのかなぁ?
拝殿向拝にある賽銭箱の前でお詣りをさせていただきました<(_ _)>
拝殿内を広角
で撮りました。

中央額には姫路城と飛龍の絵、右に朱雀、左に白虎と、どれも新しい奉納品のようです。両脇には、神社の随神門などに見られる「右大臣・左大臣」の像が祀られていました。
ここまで報告して、今回も本殿を
撮ってくるのを忘れました…


拝殿の左横にありました社務所です。入口には「水尾神社崇敬会館」と書かれていました。右側の授与所で御朱印がもらえる予定でしたが、当日は無人…後日御朱印を郵送で送っていただきました~(^^)/
その送ってもらった御朱印です。
「姫路最古の元宮」の文字と「鳴龍の宮」がどうも気になりますなぁ
場所:水尾神社





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