2022
01/10
月
前回の続きで、国宝『姫路城』(ひめじじょう)の3回目報告となります。
1回目←はこちらです。
前回の最後で、最初にくぐった工事中の「菱の門」前まで戻ってきましたので、門の西側通路を南に進みます。この場所は「西の丸南門跡」と書かれていました。
上にあがった広いスペースが「西の丸」になります。現在は「西の丸庭園」となっているようです。
2枚目の左側が、西の丸南東角にある「カの櫓」、右手奥に見えるのは西の丸南西角にある「ワの櫓」となります。
「この曲輪は、姫路城主本多忠政が大坂夏の陣のあと、将軍徳川秀忠の長女千姫をめとった息子忠刻のために、元和4年(1618)に御殿を建てたところで、「中書丸」ともいわれていました。中書とは、忠刻の官職 中務大輔の唐名です。
御殿を囲むように築かれた長屋は通称「百間廊下」ともいい、約300mの長さになります。そのうち、ヨの渡櫓から北の部分が長局です。小さな部屋が廊下に面して並んでいて、西の丸の御殿で働く女中が住んでいたとみられます。
長局の北端に化粧櫓があります。大きく開放された窓や床の間、畳敷きなど、ほかの無骨な櫓に比べると、人が居住できる拵えになっています。千姫が男山にある天神社を拝むため西の丸に来た際に、身づくろいをしたり、休息した場所といわれています。」
「ワの櫓」前にある「百間廊下」入場口がありました。そこから見た「百間廊下」は曲がりくねっているので一部しか見えませんが、とても長いです。
「西の丸を囲むように築かれた長屋は長さが約300mもあるので、とても長いという意味で「百間廊下」とも呼ばれ、建物内は城外側が廊下、城内側が部屋になっています。そのうち、ヨの渡櫓には廊下に面して納戸のある小さな部屋が並んでいました。これが長局で、西の丸御殿で働く女中の住んだ部屋とみられます。
また、この建物には、城外からの攻撃に対する防御機能もありました。城の西側は山がすぐ近くに迫っているため、防御上の弱点でした。そのため、城外側(西)に向けて格子窓や狭間がいくつも備えられました。格子は、木芯に鉄板を張りその上から漆喰を塗り込んで頑丈に造られています。戦時には廊下に鉄砲隊を配備すれば強力な防御線となり、雨天でも火縄銃で射撃ができる利点がありました。通常は部屋を倉庫として使用し、戦時には家臣の家財道具や家族を避難、収容することもできました。一見すると特徴がなさそうですが、実は姫路城の防御力を現している建物なのです。」
先程の入口から中に入ります。
渡櫓の石垣部分をくり抜いて階段を設けた入口となっています。
ここからは、しばらく内部の状況をご覧下さい(^^)/
展示物も意外と多く、当時の地図や、廊下の造りなど詳細な資料も多くありました。
順路としては「ワの櫓」→「レの渡櫓」→「タの渡櫓」→「ヨの渡櫓」→「カの渡櫓」→「化粧櫓」の順で見て回りました。
「百間廊下」の終点「化粧櫓」から外に出て、「西の丸」庭園を見ています。
左側の建物が「化粧櫓」の先端で、その左側の外階段から降りてきました。「化粧櫓」と右側の土塀との間は「西の丸北門跡」と記されていました。
最初に入場券を買った場所に戻ってきました。券売所の裏側が売店となっていて、ここで御城印を購入しました。販売価格は300円です。
帰り際、「西の丸」を下から見上げています。
右が「カの櫓」で左が「ワの櫓」になります。
「大手門」から最初に入った「三の丸」の中央から見た「天守閣」です。
空が曇天なのが残念…
続いては、「大手門」から外に出て、400m程西に行った場所にあります「好古園」(こうこえん)になります。
入口前にありました看板「姫路城西御屋敷跡庭園(好古園)」には、
「この庭園は、姫路市制100周年を記念して建設されたものである。史跡地にふさわしい庭園とするため、発掘調査で確認された西御屋敷跡、武家屋敷跡、町筋等の地割をそのままいかし、築地塀の復元と合わせて屋敷門、長屋門等を配置して、歴史的イメージをわかせる庭園群を設けた。
東西の通りにより区分された北側の西御屋敷跡には二つの殿舎があり、渡り廊下、園池、滝、景石、築山等を配置した池泉回遊式庭園がある。その西側の武家屋敷の区画内には裏千家の設計監修による茶室、茶庭と江戸期に親しまれた樹木、草花を育てる苗圃がある。
南側に連なる武家屋敷の区画内には、それぞれ特徴のある六つの小庭園を配置するとともに、これらの小庭園の一部を美しい流れで結び、四季を通じて楽しめる変化のある庭園としている。
なお、この庭園は京都大学 中村一 教授の設計監修したものである。」
と、書かれていました。
「好古園」の入口です。
姫路城とは別にここだけ普通に入ると入園料は大人310円のようです。
入場口を入り、少し真っ直ぐ歩くとまず最初に「御屋敷の庭」前に門がありました。
門をくぐり、中に入って道なりすぐに「活水軒」というレストランがありました。御屋敷の庭を眺めながら食事が出来るようです。レストランに入っていませんが、順路通り中に入ります。
「活水軒」を通り過ぎると「渡り廊下」があります。あまりハッキリわかりませんが、赤丸部分は「唐傘割工法」による中央を湾曲させた「太鼓橋」のようになっています。ようく見ると、屋根や手摺が盛り上がって見えます。
「御屋敷の庭」には川まで流れています。(^^;)
「潮音斎」(ちょうおんさい)と呼ばれる、中秋の名月を愛でるのに最良の方向に向けて建てているようです。「観庭台」(かんていだい)から見える場所には滝がうかがえます。
続いて「双樹庵」(そうじゅあん)です。京都の数寄屋大工が造った本格的茶室ですが、準備中で入れませんでした。
続いては「流れの平庭」門から中に入ります。
水の流れはゆるやかに、「竹の庭」や「築山地泉の庭」等、四季を感じることに注力を施した日本庭園になっていました。
以上で姫路城及び好古園の報告を終わります。
姫路城はやっぱり素晴らしかったです。一つの場所だけで3回に分けてホントに申し訳ありませんでしたが、最後までお付き合いありがとうございました。(^^)/
場所:好古園





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