2021
12/21
火
圓教寺に続いては姫路市内中心部に移動し、姫路城を横目に見ながら
『射楯兵主神社』(いたてひょうずじんじゃ)に行きました。

「総社門」は姫路城 中曲輪の南部に設けられた五城門の一つで、播磨国総社西門に至るところからその名称が付けられたそうです。朱塗りの楼門で千鳥破風と唐破風を付けて、城門らしく豪華な造りで再建されていました。
総社御門から中に入った所には「車祓所」と、
西通用口には「八重垣門」と書かれていました。
上記は正門だと思ったのでイレギュラーですが、本来はここからスタートです。
境内からは200m程南にあります総社南口になります。
入口には「射楯兵主神社」と刻まれた大きな社号碑と石製の明神鳥居があります。
参道は「姫路縁結び通り」と銘打って、縁結びプレートが埋め込まれています。射楯兵主神社の神様は縁結びの神「大国主命」と言うことで、良縁に恵まれるようです。
参道の先に見えているのは「神門」です。
銅板葺き入母屋造りの四脚門で入口に唐破風の屋根を設けた豪華な門です。「播磨国総社」と書かれた扁額も豪華です。
神門の横には祭事年表と由緒が書かれていました。
播磨国総社 射楯兵主神社
「当社は播磨総鎮守、姫路城鎮護の神社として、播磨一円の人々はもとより、歴代の城主にも篤い尊崇を仰いできました。
古くから「総社さん」の呼び名で親しまれていますが、「射楯大神」と「兵主大神」を本殿に奉斎することから正式名称を射楯兵主神社と云い、播磨国風土記にも登場する歴史ある神社です。
射楯大神は「五十猛尊」と称し、素盞鳴尊の御子神であられ、日本の国土に檜や楠等を植樹された神さまで、幸福へ導く道開きの神さまでもあります。
兵主大神の別名は「大国主命」「大黒様」と云い、縁結びの神さまと名高く、産業・医薬・酒造などの国造りの神さまでもあります。
また、境内の摂社・末社には、天照大御神、ゑべっさんをはじめ、名のある六十四座の神々を祀り、総社の由来にもなっている播磨国総神殿には、播磨国内の大小明神百七十四座の神々を奉斎し、日々の平穏と繁栄を祈願しながら人々の暮らしを見守っています。
ご参拝にお越しの際は、境内各社の神さまも一緒に巡って、有り難い御神徳を戴かれますようご案内申し上げます。」
神門入口の暖簾にある神紋(家紋)は「三つ巴」と「丸に二つ引」となっています。何故二つあるのかはわかりかねます(^^;)
神門入ってすぐ左手にあったのは、摂社の「住吉社」と「恵美酒社」です。2つの神社を1つの社に合わせてお祀りしているようです。
お祭りがあるんでしょうか?露天が準備されていました。
参道の突き当たりが拝殿になります。
「撫でみみづく」と手水舎です。最近の風潮で柄杓はありません。
撫でみみづくの説明には、
「知性の象徴、吉兆を授ける瑞鳥「みみづく」古来より射楯兵主神社の神使として人々から尊ばれ崇められてまいりました。
このみみづく像を撫でられ大神さまの大いなる御神徳を余すところなくお受け下さい。」
右手境内奥にあったのは、ダイニングとブライダルがある「長生殿」です。
拝殿右側にある「播磨国総明神」と書かれた扁額を持つ朱色の鳥居の奥には、末社の播磨国総神殿があり、多くの摂末社がありました。
本瓦葺き入母屋造りで正面に千鳥破風があり下に向拝付きの拝殿です。
トイの先の受けが太鼓になっているのがとても珍しかったです(^^;)
提灯や賽銭箱、太鼓の腹には神門で見た二つの家紋が入っていますが、神馬の腹には「丸に二つ引き」紋だけがあります。家紋が二つあるのは二つの神社が合祀したことから、それぞれの家紋を使っているってことなのかなぁ~?
また本殿を
撮影するの忘れました…

賽銭箱の横に四つある鈴緒の下でお詣りをさせていただきました<(_ _)>
授与所にて御朱印を書いていただきました。
御朱印
場所:射楯兵主神社





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