2021
12/06
月
前回の「摩尼殿」に引き続き、『圓教寺』(えんぎょうじ)の報告です(^^)/
摩尼殿の北側から西へ向かう山道を進みます。三之堂がある広場までは山道なのでアップダウンを繰り返しながら行きます。
広場手前に小さい祠と仏像がありました。上は「杣観音堂」(そまかんのんどう)と書かれていました。下は小さい大仏で青銅製の「毘盧遮那仏」になるのかな?(^^;)
両方とも詳しくはわかりませんでした。。。
姫路市の保存樹がありました。樹齢約700~800年の千年杉になります。
三之堂がある広場に出ました。朝は天気が良かったんですが山の天気はとても不安定です(-_-) この時は食堂で内覧している時に雨
も降ってきまして、時間調整後に青空が出てきましたので三之堂の外観写真
は、青空の入ったいい状態のものでお届けします(^^)/


三之堂を見る前に、大講堂の東側にあったのは、姫路城主本多家の墓所(上に写真
)です。土塀で囲われ門を構え、中には5棟の廟屋がありました。下の写真
は、本多家墓所の隣にありました「寶蔵跡」(宝蔵跡)です。全景撮り忘れました(^^;)


「明治三十一年(1898)五月二十八日焼失。本多廟との位置関係は不明だが西面に門を設けた土塀を巡らし、西妻に御拝庇ありと記されている。寛政二年(1790)の「堂社図式下帳」にはその記載がないが、本多廟建立[慶長十五年(1610)最古]以前より存在したことが古版木「播磨國書寫山伽藍之図」によってあきらかである。安政五年(1858)春の「霊仏霊宝目録」に収蔵されていたと思われる品々が明記されている。「性空聖人御真影」「源頼朝公奉納の太刀」「和泉式部の色紙」等七十八点をあげているが、そのうちほとんどが焼失した。」
続いて三之堂の一つ、本瓦葺き入母屋造りで二重一階の「大講堂」です。裳階かと思ったんですが重層でした(^^;) 圓教寺の本堂に当たるお堂で、お経の講義や論議が行われる学問と修行の場だったようです。
「大講堂は、食堂、常行堂とともに「三之堂」と称され、修行道場としての円教寺の中心である。建物をコの字型に配置した独特な空間構成で、かつては北東の高台に五重塔も建てられていた。
大講堂は、円教寺の本堂にあたる堂で、「三之堂」の中心として、お経の講義や議論などを行う学問と修行の場であった。永延元年(987)の創建以来、度重なる災禍に見舞われたが、現大講堂は、下層を永享十二年(1440)、上層を寛正三年(1462)に建立したものである。雄大な構造で、和洋を基調とした折衷様式に、内陣を土間とした天台宗の伝統的な本堂形式となっている。極めて古典的で正当な様式を駆使しながら、一部に書写の大工特有の斬新な技法を用いており、創建以来の伝統を残しながら、時代の要請を取り入れて存続してきた貴重な建造物である。内陣には木造釈迦如来及両脇侍像(平安時代・国指定重要文化財)が安置されている。」
大講堂前で人ができるだけいなくなるのを待つんですが、中々難しかったです。
続いては大講堂の西にあり三之堂の一つ、本瓦葺き入母屋造りで一重二階の「食堂」です。
「食堂は、「三之堂」のひとつで、修行僧の寝食のための寮であった。かつては教興坊、後に三宝院と称されていた。度重なる災禍に見舞われており、現在の建物は、寛政年間(1461~1466)頃の再建と推定される。別名「長堂」と呼ばれる通り、桁行約四十メートルの長大な建築で、現存する総二階建ての仏堂としては他に類例がなく、国内最大規模を誇る。全体的に装飾的要素は少ないが、東面のほぼ全面に釣られた蔀戸と、腰組で支えられた二階の縁により、バランスの良い美しい外観を成している。また、細部技法には、書写の大工特有の様々な巧みな工夫が施されており、大仏様の挿肘木を用いた大胆な組物の扱いなど、規矩の常識を超えるような発想によって見事に納められている。堂々とした大講堂と、繊細な常行堂の中門などをつなぎ、「三之堂」全体を一つの空間として演出する重要な役割を果たしている。」
説明に出てくる「蔀戸」(しとみど)は、寝殿造などに用いられた建具のひとつで、戸外からの雨や風を遮断するとともにプライバシーを確保する扉で、昼間に採光を得たいときには上に跳ね上げながら金具で止める木造格子に板を貼った扉です。
食堂の説明看板の所に石碑があったんですが、何が書かれているのかわかりません(-_-)
調べたんですが、特に何も出てこなかったので、わかる人いたら教えてください(^^)/
続いて、三之堂の最後の一つ、本瓦葺き入母屋造り向拝付きの「常行堂」(じょうぎょうどう)です。ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行をするための道場で、国重文に指定されております。2枚目は常行堂舞台ですが特に説明板は見当たりませんでした…
意外と大きい、正面から見た食堂の全景です。これより食堂の内覧に行きますが、なんと無料で見れちゃいます(^^)/
1階ですが、最初の
写真左奥が写経道場となっています。上にぶら下がっている格子が蔀戸になります。跳ね上げて固定してあるんですねぇ~

写経道場以外はシャチホコや鬼瓦の展示がされていました。
2階は寺宝や文化財等の展示室となっています。
ガラス扉の中には仏像などの展示がされていました。
食堂2階から見た常行堂と大講堂になります。角度が違うとまた違った建物のように感じられます。
左は大講堂の北側にある「弁慶鏡井戸」で、弁慶が顔を映したと言われています。
右は姫路市指定有形文化財の「愛宕社」です。大火が多かったので火伏せの神として建立されたようです。
大講堂から少し山を北に登った所にあったのは、塔頭の「仙岳院」です。
西側から見た「食堂」の外観です。組み物が素晴らしいですね~(^^)/
今回はここまでです。次回は奥之院へ行きま~~す。
御朱印は大講堂と書かれています。
場所:圓教寺(三之堂)





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