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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2021 12/01

[兵庫県] 西国三十三所観音霊場の圓教寺 摩尼殿


このブログを書き始めて、初めての兵庫県訪問となりました(^^)/
まず最初に伺った場所は、山陽自動車道の真下に駐車場がありました『圓教寺』(えんぎょうじ)です。駐車場の北側に書写山ロープウェイ乗り場がありましたので山上に行きます。

圓教寺(摩尼殿) ロープウェイ乗場





山上駅に着いて少し歩くと入山受付がありました。
志納金として500円納めて歩いて入山します。

圓教寺(摩尼殿) 受付





中に入ったすぐに常夜灯がありました。その後ろの石碑は「西国巡礼の道」と刻まれていました。山道を歩く人は真っ直ぐ行き、バス往復付き志納金1,000円を納めた人は、左へ曲がってバスで行きます。

圓教寺(摩尼殿) 入口





分かれ道の角にあったのは、「慈悲(こころ)の鐘」です。世界平和祈願などをめざし平成四年に建立されたようです。

圓教寺(摩尼殿) 慈悲の鐘





三十三所の観音様に見守られながら山道を登ります。最初に着いたのは「仁王門」です。

圓教寺(摩尼殿) 参道

圓教寺(摩尼殿) 仁王門

圓教寺(摩尼殿) 仁王門説明

「圓教寺の正門。東坂の終点にあたり、これより中は聖域とされる。門は、両側に仁王像を安置し、中央が通路となっており、日本の伝統的な門の形を受け継いだ「三間一戸の八脚門」である。天井には前後に二つの棟をつくり、外の屋根と合わせて「三つ棟造り」となっている。」




「史蹟 圓教寺境内」と刻まれた石柱がありました。

圓教寺(摩尼殿) 石柱





仁王門の扁額は「志ょしゃ寺」と書かれているようですが、創建当初の呼び方のようです。

圓教寺(摩尼殿) 仁王門扁額





仁王門をくぐると下りです。右手には大きな境内図があったのでパシャ! この絵を見ながら境内の隅々まで行く予定です。(^^)/

圓教寺(摩尼殿) 参道②

圓教寺(摩尼殿) 境内図





参道沿いで最初にあったのは塔頭の一つである「壽量院」です。続いて「圓教寺会館」とこちらも塔頭の「十妙院」がありました。2つの塔頭は庫裡や客殿などが国の重要文化財となっているようです。

圓教寺(摩尼殿) 寿量院

圓教寺(摩尼殿) 圓教寺会館

圓教寺(摩尼殿) 十妙院





下り坂を降りたところに「護法石」がありました。この大きな護法石を弁慶はお手玉にしたと言われているようです(^^;)

圓教寺(摩尼殿) 参道③

圓教寺(摩尼殿) 護法石





圓教寺縁起が刻まれた石碑がありました。

圓教寺(摩尼殿) 縁起

「開基は康保三年西暦九六六性空上人による。上人は敏達天皇の御末橘善根卿の御子として生れ十才にして妙法蓮華経に親しみ爾後読誦の行を積み三十六才にして九州霧島に至り母を礼して剃頭し二十年にわたり九州各地に聖地を求めて修行される。後瑞雲の導きに従って当山に入り草庵を結び法華経読誦の行を修め六根清浄を得悟され世に高徳の聖と仰がれる。寛弘四年三月十日九十八才にして入寂されたが御徳世に広まり大衆の帰依も愈々厚く花山法皇は特に尊崇され二度も御来駕。後白河法皇も七日間御参籠される。後醍醐天皇は隠岐より帰京の途次御参詣大講堂に一泊される。亦平清盛、源頼朝をはじめ武将の信仰も厚く寺領を寄せ諸堂を建立する。
本多・松平・榊原の姫路城主も信厚く援助を惜まず八名の諸侯の墓も今に残る。羽柴秀吉播磨平定に際しては当山に拠って三木城を攻め落し五百石を寄せる。亦一方天台宗三大道場の一つとしても多くの修行僧を集め東の比叡山に対し西の比叡山とも称され大講堂をはじめ三十有余の堂塔伽藍を保有し寺運隆盛となる。
現在十八棟の重要文化財を有し境内十八町歩の霊地は国の史跡に指定され昔の姿を今に残している。摩尼殿は西国二十七番の礼所として如意輪観世音菩薩を祀り霊験あらたかにて全国各地よりの参詣絶え間なく世界平和、人類の幸福を祈る読経の声は全山にあふれている。」




石段の先に窺えるのが「摩尼殿」です。寺号碑には「西國霊場第二十七番 書寫山 圓教寺」と刻まれています。山号は書寫山(書写山)で、寺号が圓教寺(円教寺)になります。

圓教寺(摩尼殿) 摩尼殿入口





寺号碑の前にある建物は「はずき茶屋」です。お昼頃だったのでちょうど休憩に良かったんですが、当日はお休みとなっていました。(-_-)

圓教寺(摩尼殿) はずき茶屋





はずき茶屋を通り越した先に本坊の「圓教寺事務所」がありました。

圓教寺(摩尼殿) 本坊





はずき茶屋の真向かいにあったのは「三十三所堂」です。

圓教寺(摩尼殿) 三十三所堂

圓教寺(摩尼殿) 三十三所堂説明

「西国三十三観音をまつる堂である。
 西国三十三所観音巡礼が広く庶民のあいだで行われるようになったのは、江戸時代である。
 社会情勢や交通の不便な時代にあって、誰でも三十三観音にであえるように、各地に「うつし霊場」ができた。
 有名なものは板東、秩父霊場であり、播磨にも「播磨西国霊場」がある。他にも全国各地にこのような霊場があり、このような「うつし霊場」をさらにミニチュア化したものが、この三十三所堂の発生であると考えられる。」




あまり下がよく見えませんが、京都の清水寺のような懸造り(舞台造り)となっている「摩尼殿」です。御本尊である如意輪観音が安置されており、摩尼は梵語で「如意」の意があり旧如意輪堂だったそうです。
本瓦葺き入母屋造りで、2枚目の写真は摩尼殿入口となる唐破風の向拝です。

圓教寺(摩尼殿) 摩尼殿下から

圓教寺(摩尼殿) 摩尼殿入口

圓教寺(摩尼殿) 摩尼殿説明

「摩尼殿は、円教寺の観音信仰の中心となる堂で、西国三十三所観音霊場の第二十七番礼所。天禄元年(970)創建とされ、桜の霊樹に天人が礼拝するのを見た性空上人が、その生木に如意輪観音像を刻み、これを本尊とする堂を築いたのが始まりと伝わる。前摩尼殿は、大正十年(1921)に焼失したが、昭和八年(1933)に再建された。設計は、関西を中心に多大な功績を残した武田五一で、施工は尾張藩大工棟梁家の流れを継ぐ伊藤平左衛門。前身建物の旧規を踏襲しつつも、近代の意図的な歴史主義に基づく創作活動として作られた寺院建築の一つとしてきわめて注目すべき遺構で、県内を代表する建物ということができる。本尊は六臂如意輪観世音菩薩(如意輪観音坐像・県指定重要有形文化財)で、四天王立像(国指定重要文化財)も安置されている。」




摩尼殿の入口前にありました、龍が絡んだ手水鉢にて身を清めてお参りに進みます。

圓教寺(摩尼殿) 手水鉢





摩尼殿の外陣です。観世音菩薩と書かれた大提灯の下でお参りをさせていただきました。
2枚目の写真、正面向かって右手側に朱印所がありますので、御朱印をいただいて参りました。

圓教寺(摩尼殿) 摩尼殿外陣①

圓教寺(摩尼殿) 摩尼殿外陣②





懸造りの縁側は外に跳ね出す形となっています。摩尼殿と書かれた大きな扁額もうかがえます。下から撮った写真があれば良かったんですが、撮り忘れてしまいました(-_-)

圓教寺(摩尼殿) 摩尼殿縁側





摩尼殿縁側から見た、先程の「はずき茶屋」と「三十三所堂」です。

圓教寺(摩尼殿) 摩尼殿より茶屋





摩尼殿北側は次の場所へ行く通路となっていました。次回は大講堂・食堂の紹介となります、乞うご期待下さい(^^)/

圓教寺(摩尼殿) 摩尼殿北側通路




中央に書かれた摩尼殿の文字は御本尊である如意輪観音を示す西国三十三所の御朱印
圓教寺(摩尼殿)



場所:圓教寺(摩尼殿)



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