2021
11/01
月
京都御所に続きましては、京都御苑の真北すぐの所にあります
『相国寺』(しょうこくじ)に行きました(^^)/
同志社大学の正門横道路の突き当たりに総門が見えます。
寺号標には「大本山相國寺」と刻まれておりますが、正式名称は「相国承天禅寺」と言うようです。山号は萬年山、臨済宗相国寺派の大本山寺院となります。
伺った日(令和3年10月9日)は、ちょうど特別拝観を開催している時期となっていましたので、もちろん拝観したいと思います。
総門を入ったところに大きな境内図がありました。
今回もこれを見ながらめぼしい場所を観覧していきます(^^)/
境内の参道は綺麗に整備されており、先には庫裡が見えます。左側の松林の先に重要文化財である法堂(はっとう)があります。この法堂に御本尊である釈迦如来が安置されています。
法堂正面です。ここしか全景を見ることができないくらい松林が邪魔してきます(^^;)
本瓦葺き入母屋造りで2階建てに見えますが、単層で下は裳階付き(庇)となっています。幾度と焼失したようですが、日本にある法堂建築として最古の法堂らしいです。
「足利三代将軍義満が、後小松天皇の勅命をうけ、約十年の歳月を費やして明徳三年(1392)に完成した一大禅苑で、夢窓国師を勧請開山とし、五山の上位に列せられる。その後応仁の乱の兵火により諸堂宇は灰燼に帰したが、度重なる災禍にもかかわらず当山は禅宗行政の中心地として多くの高僧を輩出し、室町時代の禅文化の興隆に貢献した。後に豊臣氏の外護を受けて、慶長十年(1605)豊臣秀頼が現在の法堂を建立し、慶長十四年には徳川家康も三門を寄進した。他の堂塔も再建したが天明八年(1788)の大火で法堂・浴室・塔頭九院のほかは焼失。文化四年(1807)に至って、桃園天皇皇后恭礼門院旧殿の下賜を受けて開山塔として建立され、方丈・庫裏も完備されて漸く壮大な旧観を復するに至った。現在は金閣・銀閣両寺をはじめ九十余ヵ寺を数える末寺を擁する臨済宗相国寺派の大本山である。
法堂(重文)は桃山時代の遺構でわが国最古の法堂、一重裳階付入母屋造りの唐様建築で本尊釈迦如来および脇侍は運慶作。天井の蟠龍図は狩野光信(永徳嫡子)筆。法堂北の方丈は勝れた襖絵を有し、裏庭は京都市指定名勝となっている。開山塔内には開山夢窓国師を安置。開山塔庭園は山水の庭と枯山水平庭が連繋する独特の作庭である。」 ~パンフレットより
法堂を一周して写真に収めました。南東→東→北西→西→南西の順です。
最初の境内参道に戻りまして、参道の東側にあったのは袴腰付きの「鐘楼」です。
相国寺のホームページでは「洪音楼」(こうおんろう)と名前が付いていました。
参道正面にありました「庫裡」です。入口には「宗務本所」の看板も掛かっています。
法堂と方丈の渡り廊下に特別拝観の受付がありましたので、拝観料800円を納め内部の見学に入ります。
まずは法堂に行きましたが、内部は撮影禁止
と言うことで入口外からのみとなりました。(^^;)ここでカメラ
をかまえたら、早速注意されました…申し訳ありません。


堂内には狩野光信作天井画の「蟠龍図」(ばんりゅうず)や、須弥壇上の御本尊釈迦如来坐像等、素晴らしいものがたくさんありましたが、撮影禁止
ですのでリーフレットの画像でお届けいたします。

御本尊横の特定場所で手をたたくと反響することから「鳴き龍」として知られているようです。やってみましたが、堂内は天井も高く確かによく反響するので、聴く人にはそう聞こえるのかも(^^)/
法堂に続いては渡りを通って「方丈」に行きます。写真
は渡りから方丈を撮影。

方丈前庭は白砂を敷き詰めただけのシンプルな造りですが、効果は法堂の姿を立派に表現するだけでなく、白砂による太陽の反射を利用して室内を明るくするのに役立っています。
方丈と書かれた額がかかる室内部屋は、北三室、南三室の六間で、表と裏方丈をあわせて168畳あります。各部屋、襖に書かれた山水画など文化財が多くあります。
方丈の北側にあります裏方丈庭園は前庭と異なり、山河を表し多様な樹木を植えた素晴らしい庭園となっていました。
方丈観覧に続いてはいったん外に出て、参道東側にあります「開山堂」に行きました。開山堂は塀に囲われていて建物の全景を撮ることはできませんでした。。。
松の木の後ろに屋根だけ見えるのが開山堂になります。
「開山堂は、相国寺勧請開山の夢窓疎石(夢窓国師)の木像を正面中央最奥に安置しているお堂で、特にその箇所を開山塔(円明塔)または祠堂とも呼び、境内で最も神聖かつ大切な場所である。
14世紀後半に創建され、元は崇寿院と称したが、数回の火災、戦禍により焼失。現在の建物は、文化4年(1807)に、桃園天皇皇后の恭礼門院の黒御殿を拝領して移築し開山堂に改めたもので、入母屋造り、前に広縁、三方に落縁をもち、高欄(縁側の手すり)を備え、内部と共に御殿の様式をとどめている。
夢窓疎石像前面左右には脇壇があり、西壇には右から無学祖元禅師(仏光国師)、高峰顕日禅師(仏国国師)、春屋妙葩禅師(普明国師)の各祖師像と相国寺開基である足利義満公像を、東壇には当寺の創建や再建に功績があった後小松天皇、後水尾天皇の位牌や桂宮歴代像などを安置している。
平成19年(2007)に、京都府指定文化財に登録された。」
開山堂前庭を左右から見ています。手前の白砂敷き枯山水や、奥の苔地築山には樹木を配し2つの違った庭をうまく調和させた珍しい庭園となっていました。
最後は境内西側にある参道沿いにありました「天響楼」と「経蔵」です。天響楼は平成20年に建立された新しい鐘楼です。経蔵は見た目が宝塔のようですが、建立された当初は宝塔に蔵経置き場を兼用していたそうで元は宝塔だったようです。現在は仏舎利が他に移されたので経蔵となったようです。
相国寺は以上です。大本山だけあって見応え十分な寺院でした。御朱印は、法堂の別称である無畏堂(本来畏れることなく法を説くためのお堂の意)と書かれています。
場所:相国寺





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