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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2021 10/27

[京都府] 天皇家の歴史に触れる 京都御所


今回はコロナが収束し緊急事態宣言も解除になったので、久しぶりに京都にやってきました。今回初めて伺いましたのは『京都御所』です(^^)/ 
西側の道路沿いにある「京都御苑」の敷地内駐車場に車を駐めました。1日1200円ですので、今日一日この駐車場に駐めて歩いて廻ることにしました。

京都御所 駐車場





京都御苑の案内図がありました。地図の赤い現在地と書かれている下が駐車場です。右の森の中にある四角い部分が「京都迎賓館」になります。有料ですが、そこも行ってきましたので今回の京都観光のどこかでUPする予定です。

京都御所 御苑地図





京都御所の西側にある入口の「清所門」です。門の警備を警察官がやっているのは初めて見ました。しかも大勢の警察官に囲まれて手荷物検査までされました。(^^;)

京都御所 清所門





検査後中に入り、矢印に沿って行きます。
入ってすぐを右に曲がると大きな通路がありました。

京都御所 通路





京都御所の略年表と京都御所について書かれていました。

京都御所 縁起

「京都御所は、明治維新まで天皇のお住まい(古くは内裏という)であり、桓武天皇が奈良の平城京より長岡京(京都府)を経て、延暦13年(794)に平安京に都を移されたのが始まりである。
 平安京は南北約5.2km、東西約4.5kmの方形で、中央の朱雀大路(現在の千本通り)により左京と右京に分けられ、大小の道で碁盤の目のように区画されていた。平安京の大内裏(国家的儀式を行う施設や様々な役所があった区画)の中程に内裏があった。内裏は火災に遭うと、貴族の邸宅などが一時的に仮の内裏とされた。これを里内裏という。
 現在の京都御所の場所は、土御門東洞院殿といわれた里内裏の一つで、元弘元年(1331)に光厳天皇がここで即位をされて以降、明治2年(1869)に明治天皇が東京に移られるまでの約500年間、天皇のお住まいとして使用された。この間も幾度となく火災に遭いその都度再建が行われ、当所は現在の敷地の半分以下であったが、豊臣秀吉や徳川幕府による造営により敷地は次第に拡張された。
 建築様式や全体構成は時代と共に変化をしていったが、天明8年(1788)の焼失による再建時には、江戸幕府の老中松平定信を総奉行とし、有職故実家の裏松固禅(光世)らの考証により、平安の古制に則った紫宸殿や清涼殿、その他の御殿が寛政2年(1790)に建造された。しかしこの内裏も嘉永7年(1854)に焼失し、翌安政2年(1855)には寛政時の内裏がほぼそのままの形で再建された。これが現在の京都御所である。この御所は、孝明天皇及び明治天皇の日々のご生活や数々の宮中の年中行事に加え、幕末期の王政復古の大号令、小御所会議、御箇条の御誓文の発布、明治・大正・昭和の天皇の即位礼が行われた歴史的な舞台となった場所でもある。
 現在の京都御所は築地塀に囲まれた南北約450m、東西約250mの方形で、面積は11万㎡である。敷地内では、古代以来の日本宮殿建築の歴史と文化が見られると同時に、回遊式庭園の御池庭、献上の石や灯籠を配した御内庭など、木々や花など季節の変化も楽しめるものとなっている。」




最初の「清所門」からは100m程南にありました「宣秋門」です。御所と外部に通ずる門ですが、使用はされておらず閉まってました。

京都御所 宣秋門





奥にある清涼殿と廊下で繋がっている「御車寄」です。檜皮葺き唐破風の屋根が豪華です。

京都御所 御車寄





京都御所の案内図がありましたので、参観順路を赤ペンで記入しておきました(^^)/
案内人が各所に立っており、このルート以外は進めないようでした。

京都御所 案内図





「諸大夫の間」です。案内板には"正式な御用で参内した公家や将軍家の使者の控えの間"と書いてありました。身分に応じて部屋のグレードが違うようです。

京都御所 諸大夫の間





諸大夫の間の向かいにあったのは、「新御車寄」です。先程の御車寄と同様豪華な玄関になっています。大正天皇の時に新設されたようです。

京都御所 新御車寄





京都御所で最も格式の高い正殿(紫宸殿)に入る南門である「承明門」(しょうめいもん)です。

京都御所 承明門斜め

京都御所 承明門





承明門の真向かいにあります、京都御所の正門になる「建礼門」です。最初に入ってきた西門に比べると豪華さが全く違います。現在は天皇陛下や国賓が来られた時しか使用されないようです。

京都御所 建礼門





御所の南側建礼門前から東側に周り、日華門側から中の「紫雲殿」を見させてもらいました。佇まいがとても素晴らしいです。

京都御所 紫雲殿

京都御所 紫雲殿説明

「京都御所において最も格式の高い正殿であり、即位礼などの重要な儀式がここで行われた。平安時代の紫宸殿は寝殿造の原形として多くの貴族住宅に影響を与えた。この建物は安政2(1855)年の造営であるが、伝統的な儀式が行えるように平安時代の復古様式で建てられている。慶応4(1868)年には「五箇条のご誓文」の舞台ともなった。明治、大正、昭和の三代の天皇の即位礼はこの建物内で行われた。回廊に囲まれた南庭(だんてい)は儀式の場として重要な役割をもっており、紫宸殿上から見て左側に「左近の桜」、右側に「右近の橘」が配されている。」 
と説明書きがありました。




この写真でいくと右側の株立ちの大きい木が「左近の桜」で、左側の小さい木が「右近の橘」になります。南庭は綺麗に均されており足跡の一つもないようです(^^;)

京都御所 紫雲殿UP





敷地の見学通路より東側にあったのは「春興殿」です。小さい建物ですが、金色の装飾が施されており、とても豪華に見えます。
大正4(1915)年、大正天皇の即位礼の時に皇居から神鏡を一時的に泰安するために建てられ、昭和天皇の時にも使用されたようです。

京都御所 春興殿





日華門の続きにありました「宜陽殿」です。「平安京の内裏における殿舎のひとつで、母屋は天皇累代の御物・宝物を保管しておく納殿として用いられた。」とありました。

京都御所 宣陽殿





続いて紫雲殿の北側にあります、東庭に入って「清涼殿」を見られるんですが、生憎屋根の檜皮葺の葺き替え行っており見ることは出来ませんでした。

京都御所 清涼殿


工事中で見ることが出来なかったので、清涼殿をGoogleマップでご確認お願いします(^^)/
お庭の中で回転して見られますので、その他の建物も確認してみて下さい。






続いて宜揚殿の北側にありますのは「小御所」です。

京都御所 小御所

京都御所 小御所説明

「鎌倉時代以降建てられるようになった御殿で、江戸時代は武家との対面や儀式の場として使用された。明治維新の際には、将軍に対する処置を定めた「小御所会議」が行われたことでも有名である。上段・中段・下段の3室のまわりに広い板敷(廂)が付き、様々な儀式に対応できる実用的な建物であった。
 昭和29(1954)年に焼失し、昭和33(1958)年に復元された。」




小御所の北側には「御学問所」と「蹴鞠の庭」があります。慶長18(1613)年に清涼殿から独立し、御読書始や和歌の会などの学芸をおこなう場所です。手前の庭では、蹴鞠の催しを御学問所から天皇がごらんになったそうです。

京都御所 御学問所

京都御所 御学問所説明





御学問所に続いては、塀を越えた北側にある「御常御殿」です。
天皇のお住まいだそうです。

京都御所 御常御殿





御常御殿の北側に周り、真ん中が「迎春殿」で奥が「御涼所」になります。

京都御所 御涼所





続いて元来た道を戻り、御常御殿の南側を西にショートカットして戻ります。写真は右側の大きな建物は御常御殿の南面で、正面の入母屋の妻側が見える建物が「御三間」(おみま)になります。

京都御所 御常御殿~御三間





「御三間」の南面です。
御常御殿から独立した建物で、七夕など内向きの行事に使用されます。

京都御所 御三間





広い広場(御台所跡)のある場所を抜けて、最初に入ってきた広い通路に出ました。最後にそこにありました休憩所(売店)で御朱印(参観記念)を購入してきました~(^^)/

京都御所 休憩所





京都御所は初めて訪問しましたが、中を見られないのが残念でした。まぁ無料で外観(建物やお庭)だけでも見られるので、十分見応えはございましたが(^_^)v
また参観記念とは言え、御城印に近いものまでいただくこと(有料300円)が出来ますので、興味のある方は是非訪問なさっって下さい(^^)/
京都御所


場所:京都御所


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