2021
10/12
火
今回は西国三十三所の番外礼所になります『法起院』(ほうきいん)です(^^)/
長谷寺の拝観後、入口前の道を真っ直ぐ南に進みます。仲見世とまではいきませんが、両側に商店が並ぶ商店街を抜けた辺りにありました。
大きな「西国三十三所 番外礼所 法起院」の看板がある所に細い参道がありました。
境内の入口前には、歴史を感じさせる本瓦葺きの山門もあります。
石段前の寺号碑には「西国三十三所開基 徳道上人御廟所 番外 法起院」とかなりの情報が刻まれていました(^^;)
法起院の縁起が書かれていました。
「開基徳道上人、天平七年建立播磨国揖保郡谷田部郷に生まれた上人は、二十才で初瀬の道明上人について、佛道を研修し、やがて道明上人と共に長谷寺の開基となる。上人は、この世の寿命を終り、あの世へ赴いたのであったが、閻魔大王から西国三十三所巡拝の功徳を語られ、再び娑婆へ戻り、民衆に霊場巡拝を勧めよとて、観音有縁の地三十三所を示され、あの世から追帰されたと思うと、死後七日の上人が元の身に蘇り、今日の礼所を開くに至った。
晩年この地に隠棲し、一宇を営み法起院と称す。
本尊は、御自作の徳道上人で、上人は伝わば観音巡礼の元祖である。又、当院は長谷寺の塔頭であり開山堂である。」
御詠歌は
「極楽は よそにはあらじ わがこころ おなじ蓮(はちす)の へだてやはある」
と書かれています。
縁起の下にありました「境内案内図」で境内に何があるのかわかるので助かります(^_^)v
山門の下に掛かっている御幕には豊臣秀吉の家紋で有名な「五七桐紋」と「輪違い紋」の家紋が描かれています。由来等はわかりません。
創建時は長谷寺の開山堂ですが、今は本堂になります。
小さいですが、本瓦葺き寄棟造りで向拝付きです。
本堂の正面前にありましたのは「慈抱観音像」と「弁財天堂」です。
山門の右手には祠がある馬頭観世音菩薩が祀られた「馬頭観音堂」と「稲荷神社」です。
稲荷神社の隣には2体の大きなお地蔵様と、水子供養を回向する数体の小さいお地蔵様がある「地蔵尊」。一番奥の祠は青面金剛像を祀る「庚申堂」(こうしんどう)になります。
塀の更に奥には十三重石塔が中心に造られた、西国巡拝開基である「徳道上人御廟」があります。中には西国三十三所観音霊場の「御砂踏み場」も設けられていました。
最後は御朱印を書いてもらった「納経所」と奥の庫裡へと続く間です。
御朱印は長谷寺の開山堂であったため「開山堂」と書かれています。
場所:法起院





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