2021
09/07
火
今回で4回目の報告となります
『三井寺(園城寺)』(みいでら(おんじょうじ))です(^^)/
前回は三重塔から唐院を見て、微妙寺から毘沙門堂までを紹介致しましたが、その毘沙門堂の前が観音堂の入口になっています。石段を上り、一つ高い位置に観音堂はあります。
丸みのある石に「西國十四番礼所 三井寺観音堂」と刻まれた石碑があります。
石段の脇には西国三十三所のノボリも立てられ、礼所の雰囲気も出てきました。(^^)/
石段の途中、古木の隙間からようやく琵琶湖を見下ろすことができました~(^_^)v
石段を上り切った右手にありましたのは「百体観音堂」です。
桟瓦葺き宝形造りのお堂で、江戸時代の建立になるようです。県指定文化財で、堂内には百体の観音像を安置していることから百体観音堂と言われるようです。
百体観音堂の右側には、柵で囲われた中に「観月舞台」(かんげつぶたい)があります。
高い場所にあるので、夜は月見の舞台としてさぞかし綺麗に月が見えたのでしょう(^^)/
「「駿河の国清見が関の女が京の清水観音に参籠し、行方知れずになった我が子千満丸との再会を祈るうちに霊夢を得て近江の三井寺に来た。折しも中秋名月の夜、鐘の音にひかれて夢中で鐘楼にのぼり、鐘をつきながら鐘の功徳をうたい、月に浮かれてたわむれつつ子を求めて心乱れる母親を、はからずも寺僧に伴われて月見に来ていた我が子に見出され、共に郷里に帰ることが出来た。」という物語が謡曲「三井寺」である。観音の加護による仏法の尊さを、湖水を渡る鐘の音に月を配して創られた詩情豊かな曲として名高い。
観月舞台は月見の絶好の場所で、謡曲「三井寺」を謡いながらその脳裡に様々な場面を描くことであろう。」
高台の中央、琵琶湖を望む東向きに入口があります「観音堂(礼堂)」です。
江戸時代の元禄二年(1689)の再建で、県指定文化財となっております。三井寺は檜皮葺の建物が多いですが、初めての本瓦葺きで二重の入母屋造り向拝付きとなっています。礼堂の裏に桟瓦葺き宝形造りの正堂があります。(すいません写真はありません…(^^;))
観音堂(礼堂)の前にあるのは六角屋根の手水舎です。それほど古くはなさそうですが、豪華な造りは三井寺の隆盛が伺えます。
手水は普通の龍口とは違い花を模った形の水口で、花びらの間から水がこぼれ落ちるタイプなので、直接手を洗わせていただきました。
向拝は三間ありますので横に長く、二重屋根が更に大きく見える観音堂です。
「西国三十三所観音霊場の第十四番礼所です。琵琶湖と大津市街を一望する景勝地にあり、古くから文人墨客に親しまれてきました。
観音堂は、南院札所伽藍の中心建築で、後三条天皇の病気平癒を祈願して延久四年(1072年)に創建されたと伝えます。その後、現在地への移築と焼失を経て、元禄二年(1689年)に再建されました。本尊で重要文化財の如意輪観音坐像は三十三年ごとに開帳される秘仏です。
本尊をまつる「正堂」と外陣に相当する「礼堂」を「合の間」で繋ぐ本瓦葺の大建築で、堂内には元禄期の華やかな意匠を施しています。」
観音堂全景です。
今回はここまででです(^^)/
次回は観音堂の中に入るのと、観音堂廻りにあるその他の建造物等を紹介致します。
西国三十三所の御詠歌の御朱印です。
場所:三井寺観音堂





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COMMENT
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No.62 No title
ゆうやさんコメントありがとうございます。
六角屋根の豪華な手水舎もそうですが、変わった水口にも印象が残りました。投稿者:akino194 2021/09/08 (水) 07:01
No.61 No title
とても立派なお寺ですね。
手水舎が印象的でした。