2021
08/23
月
近江神宮に続いては、
南に2kmの場所にあります『三井寺』(みいでら)に行きました(^^)/
正式名称は、山号が長等山(ながらさん)、寺号は園城寺(おんじょうじ)で「長等山園城寺」となります。通称・別称である「三井寺」の方が有名で、公式のホームページでも「三井寺」を正式に使用しているようです。
なお、「三井寺」の通称は、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから「御井」(みい)の寺と言われていたものが転じて三井寺となったそうです。御井寺と呼ばれていた時もあるのかなぁ?(^^;)
まずは境内の東側にある大きな駐車場に
車を停め、入口のある「大門」に向かいます。

入口の正面には食事・休憩・おみやげの「レストラン風月」があります。ここでは全て廻った後に昼食で蕎麦をいただきました。
今回訪問した三井寺は、大津市園城寺町にあります古刹ですが、天台寺門宗の総本山で寺号が所在地になるほどの大きさを誇っています。伽藍各所で違う御朱印もいただけると言うことで、6回に分けて紹介させていただきま~す(^^)/
先程前面道路から中に入ってきた正面に「大門(仁王門)」が伺えます。
写真でもわかりますが、境内は参道以外高木に覆われた癒し空間となっています。

参道右手に「園城寺」と正式寺号が巨石に彫られた寺号碑がありました。
「三井寺妖怪ナイト」、入山料1000円で三井寺で行われるイベントです。楽しそうなイベントですが、残念ながら今年はコロナ蔓延防止で中止になったようです。
三井寺参拝ガイド看板です。これと同じものが、【寺社巡り.com】さんでUPされておりますので、行く前に参考とさせていただきました(^_^)v
この境内案内図は参拝順序が矢印で示されており、伽藍に№と名前が記されているので、非常にわかりやすかったです。
国の重要文化財に指定される「大門(仁王門)」です。桧皮葺き入母屋造りで三間一戸の楼門になります。
「三井寺の表門で、三間一戸、檜皮葺の楼門です。もとは滋賀県湖南市常楽寺の門で、豊臣秀吉により伏見城に移されていましたが、慶長六年(1601年)、徳川家康によって三井寺に寄進されました。
宝徳四年(1452年)の建築になり、蟇股の彫刻や組物に室町時代の特色を示しています。門の両脇には康正三年(1457年)に制作された金剛力士像が安置され、千三百年余の歴史をもつ浄刹の表門としてふさわしい風格を備えています。」と、書かれていました。
入口の天井板や虹梁・組物などに千社札がそこかしこに貼られていました。金剛力士像(仁王像)は550年と言う長い歴史が感じられる凄みがありました。
大門をくぐったすぐ左手に「国宝・諸堂巡拝志納所」がありました。ここで入山料大人1人600円を納め入場となります。
御朱印案内が掲げられており、①~⑥の番号が付いた場所で御朱印拝受できます。先程の境内案内図と併せて見ていくとスムーズに進められます。
御朱印も種類が多くありますので、何を参拝するのか見極めてからどの御朱印を拝受するかを決めました。
志納所の目の前には、国の重要文化財となっています「釈迦堂(食堂)」があります。
御所の清涼殿を移築したと伝え、食堂として移築されたと思われます。
釈迦堂境内の西側に「弁財天社」がありました。
檜皮葺き入母屋造りの「釈迦堂(食堂)」です。御本尊は釈迦如来(清涼寺式)となります。京都嵯峨清涼寺御本尊の模刻像で、その独特の容貌から「清涼寺式」と呼ばれるようです。
「本尊に清涼寺式釈迦如来像をまつります。須磨壇は室町時代のもので、上下に刳型や蓮弁を刻み、中央の格狭間には精巧な唐草文様の透彫が入っています。文政十三年(1830年)に唐破風の向拝を増築し、現在では「釈迦堂」と呼ばれています。
御所の清涼殿を三井寺に移築したものと伝えられ、檜皮葺の屋根に半繁垂木の簡素な住宅風建築です。多くの僧や衆徒を擁した中世の大寺院にあった「食堂」の古式を今日に伝えています。」と、説明板には書かれています。
説明板にあった向拝となっている唐破風の屋根は増築のようです。2枚目正面奥に見えるのが、御本尊の清涼寺式釈迦如来像になります。
堂内にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
堂内右手にありました御朱印所にて釈迦堂御本尊である釈迦如来の御朱印を書いていただきました。
御本尊 釈迦如来の御朱印
場所:三井寺釈迦堂(食堂)





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