2021
08/18
水
今回は京都に程近い、滋賀県は大津市に行きました。旧東海道の道程にありながら大津宿もあり、とても歴史のある街なんですが、大津市は一度も訪れたことがなく、ワクワクしながらの御朱印拝受となりました。
まず最初に伺いましたのは、『近江神宮』(おうみじんぐう)です(^^)/

入口右手にある社号標には「近江神宮」と刻まれています。
木製の大鳥居である「一の鳥居」は一般的な明神鳥居のようです。
表参道をしばらく歩くと石段があり、その上に木製の「二の鳥居」がありました。
二の鳥居をくぐると、広いスペースに出ます。ここを右手に曲がって行きます。正面には歌碑や句碑の刻まれた石碑が点在していました。
豪華な造りの手水舎ですが、水盤廻りは感染防止対策として配管の上、所々の穴から水が出ているだけの残念な感じになっていました。これも仕方がないですね~
境内に上がる石段の手前に由緒板がありました。内容は、
「御祭神は第三十八代の天皇であるが、はじめ中大兄皇子と申上げ、今を去る約千三百年の昔、大化改新の大業を完遂遊ばされ、我が国古代に於ける立国の体制を確立せられ、雄大な建国の理想を実現せられた中興の英主であらせられる。
神界に坐しては、天命開別大神を称えられ、万物の運命開拓のことを司宰し給う宝位につかれ、吾等が運命の開顕をはじめ、明治維新の大業も現代の目覚ましい文化的飛躍も、その冥助によるところと敬慕して、「世直しの大神」「開運の大神」と信仰されている。
又小倉百人一首の「秋の田」の御製で昔から国民に親しまれ、「学問の神」「知恵の神」と崇められると共に、御在世の時初めて漏刻台を置き、時刻を国民に周知せしめられた御事蹟により、時計関係の祖神と仰がれている。
当神宮はその御聖徳を敬仰する県民敬度の誓願が発端となり、官幣大社として昭和十五年十一月七日御鎮座になり、爾来
例祭は毎年四月廿日勅使御参向のもとに厳修されて今日に至る。」
と、書かれていました。
石段下から見た朱塗りの楼門です。
透塀が両側について授与所、回廊が朱塗りで統一されています。
楼門をくぐると正面に「外拝殿」が見えます。境内参道は石畳ですが、それ以外は砂利が綺麗に均されていました。
楼門の右横に御朱印がもらえる授与所があります。左側は「時計館、宝物館」の名前があります。入館料は大人300円で観覧ができるようです。
境内の一角に「古代火時計」がありました。龍を模ったんでしょうか、古代中国で使われていたと伝えられる古代火時計は、昭和54年ロレックス社から奉納されたようです。
奥から北神門→外透塀→外廻廊があり、一番右の屋根だけ見えるのが授与所です。
境内の北側にありましたのは、結婚式などに使われる「神楽殿」です。
外拝殿を石段下から見ています。
銅板葺き入母屋造りで向拝部に唐破風があり、両側に回廊が付いてかなり大きな建物に見えます。
外拝殿の中心にありました賽銭箱の前でお詣りをさせていただきました<(_ _)>
由緒にもありましたが、御祭神は天智天皇となります。天智天皇六年(667)、この地に近江大津宮(大津京)を創り、紀元2600年の佳節にあたる1940年、天智天皇を祭神として創祀し、官幣大社に列せられました。
奥に見えるのは「内拝殿」になります。外拝殿と同じく入母屋造りで両側に回廊が付きます。本殿は内拝殿の更に奥にありますが、今回は見ることもできませんでした。
外拝殿の中心から見た内院回廊です。2枚目の回廊奥に行くと「栖松遥拝殿」(せいしょうようはいでん)へ続きます。
境内側から見た栖松遥拝殿への入口です。回廊を横切ると石段上に鳥居、奥に本殿があります。栖松遥拝殿は遥拝式が行われる全国社寺遥拝所だそう。かつて高松宮家の邸内社・御霊殿として有栖川宮家以来の御霊を祀っていた建物です。高松宮家廃止にともない、近江神宮御創建当初からの高松宮殿下との御神縁により、平成18年近江神宮に移築され、有栖川宮家の「栖」高松宮家の「松」をとって名付けられたようです。
「山桜に楽浪」の神紋が朱印で押された御朱印です。
場所:近江神宮





この記事と関連する記事
AFTER「[滋賀県] 琵琶湖を見下ろす古刹 三井寺(園城寺)① 大門~釈迦堂」
BEFORE「[静岡県] 学徳成就の守り神 縣居神社」
COMMENT